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聖書箇所:
1ペテロ 2:20-25
1ペテロ2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。:21 このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。:25 あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。
I.どのような苦しみを受けたのか?
l 精神的苦痛:理不尽さ、裏切り、屈辱
l 肉体的苦痛:むち打ち、見せしめのために考え抜かれた十字架刑
l 霊的苦痛:天の父との断絶
自分の問題から目を離し、イエス様が払って下さった犠牲を思い起こしましょう。
II. なぜ苦しみを受けたのか?
l 原罪:神様が人類を拒絶したのではなく、人類が神様を拒絶した。
l 神様は拒絶されてもなお私たち人間を助けたいと思われた。
l イエス様は部外者でいることを良しとされず、私たちを助け出すために、地上に来られて苦しみを受けた。
III. 私たちの苦しみとどう関係するのか?
l イエス様は苦しみを避ける道ではなく、苦しみを乗り越える道を歩まれた。
l イエス様は、天の父への信頼と、聖霊様の助けによって苦しみを乗り越えた。この生き方にならうように私たちは召された。
l 苦しみから自由になる=苦しみがあったとしても大丈夫だと確信できること
l イエス様は苦しみの奴隷とはならず、自由な生き方を貫いて十字架にかかられた。
l 平安がくるまで、賛美し、祈りましょう。
l 苦しみの多いこの厳しい世界を誰と一緒に歩むかが肝心。
l 「聖霊様がくださる平安がなければ、奴隷になってしまう」というのが霊的現実。
聖書箇所: Ⅰテサロニケ5:16
いつも喜んでいなさい。
・ 喜び = カイロー(ギ) =神の恵みを喜ぶ。
神の恵みを経験し、神の恵みを意識する。
・ 喜ぶの語源:カル(ギ) = 好意的に扱われる、傾く。
・ 私たちの人生において、あらゆる局面で「喜び」を持つことを聖書は教えている。
Ⅰ.聖霊による喜び
Ⅰテサロニケ1:6...
Published 08/07/23
創世記 15:4-5
:4 すると見よ、【主】のことばが彼に臨んだ。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない。」
:5 そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」
:6 アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた。
Published 08/07/23
聖書箇所: ヨシュア3章、Ⅱコリント3:18
ヨシュア記 3:15 箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、 3:16 川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。
Ⅰ.モーセからヨシュアの時代へProject7-ヨシュア世代
出エジプト記 14:21...
Published 08/07/23