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どのような状況でも長くつづくと、それが「ふつう」になってしまいます。
人には高い適応能力があるので、たいていのことには慣れることができるのです。
しかし、「慣れる」というのは、じつは本来の自分ではない状態になることを意味しています。
なんとなくイライラする、もやもやする、どよよ~んとする・・・そんなときは「自分ではないものになっていますよ」ということを、心地悪さという感覚を使って知らせてくれているのです。
本来の自分とは、こころ安らかで幸せな状態です。それは、頑張ってなるのではなく、もともと自分に備わっている本質そのものです。澄みきった湖のように、静かで穏やかで平和なこころなのです。
イライラ、もやもやを感じるのは、本来の自分からずれている状態なので、何を手に入れようとも、どんなことをしようとも、幸せは感じられません。状況がどう変わろうとも、ずれていれば本来の自分の安らぎを感じることはできないからです。
つまり、幸せとはこの世界の物事、出来事とは関係がないということです。自分のこころの土台にある、安らかで幸せな状態を取り戻すことこそが大切なので...
Published 11/08/24
新年の抱負として、クライエントのA子さんがこのように語っていらっしゃいました。「すぐにイライラして人にあたってしまう私ですが、今年は人を責めたり、裁くことなく、こころ安らかな日々を過ごしたいと思っています」。
ついつい人にイヤミを言ったり、あげ足をとったり、攻撃してしまうクセがあり、それは相手だけでなく自分もイヤな気持ちになることに気づいたからです。
その後、その新年の抱負についてうかがってみると、このように仰っていました。「人にあたらないように気をつけたのですが、じつはさらにイライラすることが多くなり、安らかさとは程遠いのです」。
また、体調が悪くなったり、予期せぬ出来事が起こったり、人との関係もぎくしゃくして、以前よりも苦しく感じる、というのです。
「人を責めず、裁かず、いい人でいよう!」と決めたのに、これはどうしたことでしょうか?
じつは、これはよく起こることなのです。
自分の怒りや攻撃の想いを外にバラまかないように、責めず、裁かず・・・
でも、いくら責めるのをやめても、裁くことを我慢しても、ただ外側へとその想い...
Published 10/25/24
渦のなかにいると、目がまわってしまいます。
目がまわれば、具合が悪くなります。正気を失います。できるはずのこともできなくなります。
以前、たけしさんの番組で、回転椅子でぐるぐる回されてからゴルフをする、という企画がありました。誰ひとりとして立っていることはおろか、地面にはいつくばってふだんの実力を発揮することができませんでした。
私たちが問題のなかにいるとき、それはまさに渦に呑まれて正気を失っているときなのです。
ふらふらになってゴルフに挑んでいたように、私たちもすでに問題を解決できるポジションにはいません。
それでも平静を装って、問題を解決しようと試みてはみます。またそうできる、と信じているからです。
冷静な状態だったらすんなりできることも、渦のなかにいては状況に対してコントロールを失い、怖れから反応するため、さらに混乱が深まります。
渦のなかでは問題は解決できないし、そもそも解決すべき場所にはいない、ということです。
解決を望むなら、まずは渦を離れてみること、解決が可能な場所へと移動することが先決なので...
Published 08/24/24
「大学生の息子さんの恋愛や行動に、つい口を出しすぎて煙たがられてしまう」というA子さん。
としごろの息子さんに限らず、私たちはコミュケーションにおいて相手の言葉や態度のみに気をとられ、抵抗したり、拒絶したりして、なかなかそこにある「想い」を受け取ることができません。
親が口にする「頑張りなさい!」は「あなたならきっとできるから、頑張りなさい!」であり、「気をつけるのよ!」というひとことも、「今日もあなたに安全に過ごしてほしいから、気をつけてね」という愛や励ましがこめられていたりします。
しかし、こどもにとってはそれを圧力と感じ、「わかっているよ!」「それ以上言わないで」と抵抗や怒りを感じてしまうのです。
それは、受け取る人のなかにある被害者意識や、自信のなさによって、その言葉を自分なりに解釈してしまうからです。
もし、自分を信じることができ、安心しきっていたならば、きっと「お母さん、大丈夫だから!心配しなくていいよ」と穏やかに伝えたことでしょう。
こころが不安定だと、相手から愛を伝えられたとしても、それを素直に受け取ることができませ...
Published 06/29/24
こころが怖れや不安を感じているとき・・・その原因とはいったい何なのでしょうか?
「もちろん、今起きている状況、あるいはこれから起きるかもしれない状況です!」と言われるかもしれません。
仕事がうまくいかない、人間関係で問題が起きている、体調が思わしくない、先行きに不安を感じる・・・というように。
私たちはこのような状況に対して、環境を変えたり、能力向上をはかったり、相手をどうにかしようとしたり、健康対策をとったり・・・改善をはかる努力をします。
そうすることに問題はないのですが、これらが怖れや不安の原因であり、解決策もここにあると信じてしまうと、結局同じ問題をくりかえすことになってしまいます。ほんとうの原因が放置されたままだからです。
そもそも、怖れや不安を感じているのは「自分」なので、たとえものごとや人が変わろうとも、怖れや不安は新たな状況のなかでも簡単に姿を現すことになります。処理しないかぎり、いつまでもどこまでもつきまとってくるのです。
怖れや不安はもともと自分のこころにあるもので、ものごとと結びつくことでそれが原因のように感じら...
Published 05/17/24
私たちは興味がそそられるものに、自分が引っぱられてゆきます。
好きとか嫌いとか、楽しいとか怖いとかに関係なく、ただそれに興味があるので引き寄せられ、アタマから離れなくなってしまうのです。
そして、そのことについていつも考えをめぐらせ、こころのなかでそれを大切にします。
善くも悪くも、それを愛してしまっているのです。
自分にとって好ましくない状態、痛みや苦しみ、恐れなどが長くつづくとき、じつは無意識のうちにそのことにいつも注意が注がれ、愛してしまっているのです。
痛いところをいつも気にしていませんか? 苦しい状況について、そのことばかりを考えていませんか?...
Published 04/27/24
あなたの今年の目標は何ですか?...
Published 04/13/24
運命とは、決まっているのでしょうか?...
Published 02/18/24
ものごとをそのままに、「あるがまま」見ることが幸せにつながります。
そこに自分自身の考えを何もつけ足さないとき、 安らかさや平和が存在するのです。
さて・・・私たちは日々、どれだけものごとをあるがままに、まっさらな状態で見ることができているでしょうか?
あるいは、自分独自のでっちあげである妄想劇場にハマって、自分自身を怯えさせてしまっているでしょうか?
まっさらに見るということは、「あるがまま」に受けとめることです。それは、自分勝手な価値判断やでっちあげをせずに「素のままで見る」ということです。それをただそのままにしておくのです。
「そんなこと、あたりまえじゃないですか? 」と言われそうですが ・・・...
Published 12/17/23
自分の顔は、自分のものでありながら自分自身で直接見ることができません。
鏡という道具を使って、はじめて顔を見ることができます。
そして、私たちは鏡に映し出されたその顔を、自分の顔そのものとして受け入れ、信頼しています。
もしその顔に吹き出ものがあればすぐに治療をしますし、顔色が悪ければそれを改善しようと試みます。
顔と同じように、自分のこころも自分では目にすることができないものです。やはり、なにか見るための道具を必要とします。
では、自分のこころを見るためには何を使えばよいのでしょう?
それは、顔を見るときと同様に、やはり鏡を使います。鏡を見ることで、その状態を知ることができるのです。
自分のこころを見るための鏡とは何でしょうか?
それは自分の外側の「世界や人」という鏡なのです。
自分と向かいあっている世界や人は、まさに自分のこころの状態をそっくりそのまま映しだしてくれる鏡そのものです。
自分が気づいているこころも、気づくことがない無意識のこころも、丸ごと正直に映し出します。
気づいているこころはまだしも、無意識のこころのなかには自分が拒絶してきた怖れや怒り...
Published 11/24/23
私たちは日々、自分に「つけ足す」ことに忙しくしています。
もっと美しく、もっと賢く、もっと強く、もっと豊かに、もっと楽しく、もっと充実を・・・もっと、もっと、もっと・・・と。
この世界では「つけ足す」ことこそが幸せをもたらすと信じられているので、人生を通してつねに何かを「つけ足すこと」「補うこと」に労力を費やすことになります。
こどもの頃から、生きるための道具として国語や算数などの知識をつけ足すことにはじまって、今では生きるために必要な知識は十分に身につけたはずなのに、生涯を通通じてつけ足す作業は終わることがありません。
一般教養や趣味の知識にはじまって、マネ活、美容、副業、あの人は知っているのに私は知らないことについてなど・・・つけ足すものにはこと欠きません。
このように、つねに「つけ足す」ことに注意が向いているということは、それはまるで「私はこのままでは足りない不十分な人です」と自分自身に暗示をかけているようなものです。
足りないと信じていれば、何をしても、どこまでいっても結局は足りないということになってしまいます。つけ足そうとする努力は、さらなる不足感を生みだし...
Published 11/10/23
不安な気持ちになったとき ・・・ 私たちはそのことばかりについて考えてしまう傾向があります。
「お金がない!どうしよう?この調子でいったら来月には・・・云々」「身体の調子がおかしい。これ以上ひどくなってしまったら、将来はどうなる・・・云々」
私たちは考えていれば問題を放置することなくかかわっているように感じるので、少し安心できるのです。
しかし、考えは未来へ未来へと前のめりに広がり、ありもしないストーリーを紡ぎだすことで不安をさらに増大させてしまいます。
ということは、「あれこれ考える」ことじたい解決にはまったく役立っておらず、逆に不安だけをあおってしまっている、ということになります。
そもそも不安な気持ちがこころに浮上してきたということは、それをそのまま感じて、受けとめて、終わりにしなければならないのです。
それらの感情は、自分のなかで長いあいだ拒絶され、無視され、こころの奥深くに抑圧されて無きものにされてきました。
しかし、これらの感情こそが自分が目にする世界へと投影され、自分にとって障害物となる問題へと姿を変えてしまいます。...
Published 10/27/23
クルマを運転しているとき、速度をだしすぎるとアラームがお知らせしてくれます。
方向を間違えば、ナビが正しいい道順を教えてくれます。
だからこそ、あれこれ気にすることなく、ドライブを楽しむことができるのです。
クルマ同様、私たちにもさまざまなアラームやナビが搭載されているのをご存知でしょうか?
たとえばアラーム。
「速度を落としてください」「方向を変更してください」などというダイレクトなアナウンスはありませんが、それでもお知らせはちゃんとやってきています。
そのお知らせとは ・・・...
Published 10/13/23
私たちは、人生の中に「苦しみ」という何かが存在していて、ある日それに遭遇することによって苦しみがはじまる・・・というようなイメージを持っているかもしれません。
つまり、苦しみとは「外側の世界からやって来るものであり、自分に対してふりかかってくるもの」という感じなのです。
そして一度苦しみに出会ってしまったら、逃れることができず、自分自身では制御不可能であり、自分は可哀想な被害者となってしまうのです。
しかし「苦しみ」というのは、そのような外部からやってくる「出来事」ではありません。
それはあくまでも、自分自身のものの見方であり、認識であり、解釈によって生じるものなのです。つまり、自分が目の前にあるものをどのようなものとして認識するか、ということです。
こどもが暗闇や影や何でもないものを怖がるとき、それはそのものが怖いというよりも、こころのなかで自分がでっち上げた解釈が怖いのです。それは実際には存在しないお化けであったり、モンスターであったり、妖怪であったりします。
そのとき、こどもは目の前のものを直接見ておらず、自分のこころのなかで作り上げたイメージを信じているため、...
Published 09/29/23
Q: 「ブログのなかに毎回ハイヤーセルフという単語が出てきますが、そんなに重要な存在なのでしょうか?」
A:...
Published 09/15/23
「アロマで癒されましょう」「ストレッチやヨガで癒しを」、あるいは「癒しの空間」「癒しのひととき」・・・というように、巷には「癒し」というワードがあふれています。
しかし、それらは「癒し」というレッテルにすぎません。レッテルが「癒し」ならば、なんとなく癒されているような気にもなるものですが、ほんとうのところは癒しではなくリラックスのためのものです。
ほんとうに「癒される」ということは、病んでいた原因を取り去り完全に回復させることです。リラックスとは、原因はそのままで和らげることなのです。
なので、巷でいわれている癒しは、ほんとうのところ癒されることなくさらに走りつづけるためのニンジンを差しだされているにすぎません。今までと同じように、ちょっと気持ちがよくて、ちょっとステキなニンジンに気をとられながらさらに走りつづけ、欲望の底なし沼に足をとられて少しづつ呑みこまれてしまいます。
「癒しだと思っていたけれど、じつは癒しではなかった!」と気づくのは、底なし沼に呑みこまれて、息ができなくなるあと数センチのところです。
そうなるまで、それがほんとうの癒しだったのか、はたまたエゴの差...
Published 09/01/23
誰にでも、「私は、あのとき守られていたに違いない」と感じたり、「突如、ひらめきによって解決策を与えられた」というような経験があると思います。
それは私たちが高い存在によって、つねに守られ、導かれているからです。
その存在は私たちの幸せのために全力を尽くし、どのような問題に対しても必ずや助けを与えてくれるのです。だから、私たちはその存在に悩みを打ち明け、頼るだけで、あとはリラックスして解決へと導いてもらうことができます。
その高い存在とは、じつは誰にとっても馴染みがあるはずです。もしかすると、ハイヤーセルフやエンジェル、あるいは神さまと呼んでいたかもしれません。あるいは、精霊や高次の存在、または自分だけの特定の呼び名があったのかもしれません。呼び方は違っても、助けはみな同じところからやってきます。
大切なことは、この確かな答えをもっている存在につねに「尋ねる」ということなのです。
そして、「尋ねたら」、リラックスして、こころを静かに答えを「待ちましょう」。
よく質問されるのは、「尋ねたのに、なにも答えがきません」ということです。
その場合の多くは、自分なりの答えの...
Published 08/18/23
どのような状況におかれていても、いつも人生が大変そうな人がいます。
たとえ健康で平穏な日々を過ごしていても、自分のやりたいことをしていても ・・・...
Published 08/11/23
家族でも、友人でも...
Published 07/26/23
四月になりました。新しい環境で学びやお仕事を始められる方もいらっしゃると思います。
自己紹介をしたり挨拶をしたり、発表やプレゼンのお仕事がまわってきたりと、人まえで話す機会も多くなります。
誰にとっても人まえで話す、発表することは、緊張をしいられるものです。そんな苦手意識からまったく自分らしさが出せなかったり、能力が発揮できなかったり、はたまた失敗をしてしまったりします。
どうしたら、少しでも緊張をやわらげて自分らしく話すことができるのでしょうか?...
Published 04/30/23
夜、なかなか寝つくことができない、という方も多くなってきています。
寝つくことができない原因はさまざまですが、そのひとつとしてあげられるのが「あれこれ考えてしまってアタマが休まらない」ということがあります。
眠ろうするとさまざまな思考やイメージが浮かんできて、それに対して不安な気持ちになり、その不安から新たな思考やイメージが浮かんできて、寝つけずにイライラしてしまうのです。これでは、不安とイライラの悪循環におちいってしまいます。
一方、思考やイメージが鎮まっていれば、呼吸はしだいに深くなり、自然に眠りにはいることができます。
では、寝つこうとするときについついあれこれ考えてしまうときには、どのように対処したらよいのでしょうか?
思考やイメージについて、私たちは「自分が思考やイメージを思い描いている」と考えがちです。しかしそうではありません。
もし自分がそうしているのなら、「もう、やめたい!」と思ったときにやめたり、上手に思考やイメージをコントロールできているはずです。
それができないとするならば、じつは思考やイメージは自分の意志とはまったく関係なく自然発生的に湧きあ...
Published 04/29/23
私たちはつねに未来のことを心配したり、過去のことをあれこれ思いあぐねたり、さまざまな混沌とした思いでこころがいつも占領されています。
「この先、(仕事、体調、家族、お金、人間関係・・・)をどうしたらいいんだろう?」「あのとき、こうしておきさえすればば・・・」「あんなことは起きるべきじゃなかった」「あの人はいったいどう思っていたんだろう?」・・・。
すべて、存在しない時間について気にやんでいるのです。
残念なことに、私たちは「いまここ」というリアルなときから離れてしまうと、心理的にも体調的にもバランスを崩してしまいます。
なぜなら、真の自己の力の源は「いまここ」、「いまここ」にしかないからです。
過去や未来へと思いがふらふらすると、自分自身がコンセントから抜けた状態になってしまい、力や豊かさ、安らぎの供給が止まってしまい、えらく消耗した状態になります。存在じたいが干上がってしまうように感じるのです。
ほんとうは、ものごとはとてもシンプルです。
シンプルだからこそ省エネであり、こころもからだもムダにすりへることがありません。
あるのは「いまここ」だけ。
「いまここ」だけがリアルであり...
Published 04/07/23