Vol.006 答えはどこからやってくる?
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誰にでも、「私は、あのとき守られていたに違いない」と感じたり、「突如、ひらめきによって解決策を与えられた」というような経験があると思います。 それは私たちが高い存在によって、つねに守られ、導かれているからです。 その存在は私たちの幸せのために全力を尽くし、どのような問題に対しても必ずや助けを与えてくれるのです。だから、私たちはその存在に悩みを打ち明け、頼るだけで、あとはリラックスして解決へと導いてもらうことができます。 その高い存在とは、じつは誰にとっても馴染みがあるはずです。もしかすると、ハイヤーセルフやエンジェル、あるいは神さまと呼んでいたかもしれません。あるいは、精霊や高次の存在、または自分だけの特定の呼び名があったのかもしれません。呼び方は違っても、助けはみな同じところからやってきます。 大切なことは、この確かな答えをもっている存在につねに「尋ねる」ということなのです。 そして、「尋ねたら」、リラックスして、こころを静かに答えを「待ちましょう」。 よく質問されるのは、「尋ねたのに、なにも答えがきません」ということです。 その場合の多くは、自分なりの答えの受けとり方のイメージがあって、それだけを待っている、ということがあります。 たとえば、「はっきりと耳で聞き取れるはずだ」とか、「稲妻に打たれたような気づきがやってくるはずだ」とか、「夢のなかで教えられるはずだ」などというように。 もちろん、このどれもが起こりうるものですが、もっと手軽に答えを受けとる方法があります。 じつは、その答えはすでに自分のこころのなかに与えられています。 すでにこころのなかにあるもの、自分であるものを知るには、「鏡」を使います。 「自分のこころの中身を映し出す鏡?」 ・・・ はい、こころの中身をつねに映しだしている鏡とは、外側にいる「人々」なのです。 この外側の人々は好むと好まざるにかかわらず、つねに自分のこころの内側をつぶさに映しだしてくれています。彼らは、私のこころにある内容を包み隠さずすべてを映し出す「鏡」そのものなのです。 たとえばわかりやすい例として、自分にとってもっとも苦手な人は、まさに自分が嫌っている自分自身と同じことをしている人なのです。つまり、自分が感じとる他人というものは、いつも自分自身そのものです。 だからこそ、一人一人にとって世界や人々はまったく違うものに見え、自分にとっての幸せや苦痛の原因となりえるのです。 このように、自分の癒されていないところを人々は簡単に見せてくれますが、また同時に自分のなかにある神々しいもの、たとえば高い存在からの真実の答えも見せてくれるのです。 この「人々を見て、自分の内側に気づく」ということが、こころの鏡を使う、ということなのです。 そこで、人々から自分の助けとなる信頼できる答えを受けとりたいときに気をつけなければならないこととは、「私は信頼できることを受け取りたいのだから、まず先に信頼を人々に差しだす」ということなのです。 「受けとること」と「与えること」は同じなので、それは同じものでなければなりません。 「私は真実なる答えを受けとりたい」と願うのであれば、まず人々に真実を差しだしましょう。 それ
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