Description
クルマを運転しているとき、速度をだしすぎるとアラームがお知らせしてくれます。
方向を間違えば、ナビが正しいい道順を教えてくれます。
だからこそ、あれこれ気にすることなく、ドライブを楽しむことができるのです。
クルマ同様、私たちにもさまざまなアラームやナビが搭載されているのをご存知でしょうか?
たとえばアラーム。
「速度を落としてください」「方向を変更してください」などというダイレクトなアナウンスはありませんが、それでもお知らせはちゃんとやってきています。
そのお知らせとは ・・・ ざわわさする感じ、どきどき落ち着かない感じなどという、自分のこころが波だつ感じや、怖れ、居心地の悪さ、という感覚です。
怖れや居心地の悪さを感じるとき、それは「このまま同じように走りつづけないでください、走り方や方向など、なんらかの変更が必要です!」というお知らせなのです。
それは、「もう、今までのやり方は通用しなくなります」「もしつづけるなら、良くない状態になってしまいます」と警告してくれているのです。
しかし、たいていの場合、ぞわぞわ、ざわわさ、どきどきという怖れを感じはじめると、私たちは「こんな気持ちは感じたくない!」といわんばかりに、さらにアクセルをふみこんで、そのまま走り抜けようとしてしまいます。
アラームに抵抗して、「突っ走ればどうにかなるだろう」とばかりに、さらに同じルートのまま速度をあげて進んでしまうのです。
まさか、自分を助けるための大切なアラームが鳴っているとは思わず、今までと同じやり方で疾走してしまうのです。
ぞわぞわ、ざわわさ、どきどき・・・という怖れのアラームを感知したら、抵抗したり誤摩化したりせずに、いったん受けいれて、まずは止まってみましょう。
「これは、もう今までのやり方では通用しない、ということを教えてくれている。同じやり方をすれば、難しい道に入りこんでしまう。早く教えてもらえてよかった!」と感謝のこころでで受けとめます。
そうなのです、ぞわぞわ、ざわわさ、どきどきという感覚は、安らぎである私たちにとっては異質の状態なので、それは「自分自身からはずれていますよ!」という異常事態宣言なのです。
しかし、私たちはそのアラーム音の鳴りっぱなしにかなり慣れてしまっているようです。
なぜこのまま進んではダメなのでしょうか?
それは、自分が自分をみくびっていること、裏切っていることに気づいていないからです。本来の自分自身を完全に忘れて、別物になりきってしまっているのです。
本来の自分がいないからこそ、不安な気持ちになってしまいます。そして、怖いから、手っとりばやくどうにかなりそうなものに飛びついてしまいます。しかし、それらはいつも解決策にはなりえません。
なぜなら、自分自身でつくりあげた架空の不安にこころを奪われているので、自分のこころを正常に戻すことでしか解決ができないからです。
もし本来の自分自身でいられるならば、自分のこころに備わっている強さ(光)こそがすべてを照らして、正しくしてくれるのを信じることができるはずです。
でも、自分が失われている状態では、その強さも丸ごと失われてしまっています。
さて、どうしたらいいのでしょう?