Vol.010 ざわざわはギアチェンジのサイン
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Description
クルマを運転しているとき、速度をだしすぎるとアラームがお知らせしてくれます。 方向を間違えば、ナビが正しいい道順を教えてくれます。  だからこそ、あれこれ気にすることなく、ドライブを楽しむことができるのです。 クルマ同様、私たちにもさまざまなアラームやナビが搭載されているのをご存知でしょうか? たとえばアラーム。 「速度を落としてください」「方向を変更してください」などというダイレクトなアナウンスはありませんが、それでもお知らせはちゃんとやってきています。 そのお知らせとは ・・・ ざわわさする感じ、どきどき落ち着かない感じなどという、自分のこころが波だつ感じや、怖れ、居心地の悪さ、という感覚です。 怖れや居心地の悪さを感じるとき、それは「このまま同じように走りつづけないでください、走り方や方向など、なんらかの変更が必要です!」というお知らせなのです。 それは、「もう、今までのやり方は通用しなくなります」「もしつづけるなら、良くない状態になってしまいます」と警告してくれているのです。 しかし、たいていの場合、ぞわぞわ、ざわわさ、どきどきという怖れを感じはじめると、私たちは「こんな気持ちは感じたくない!」といわんばかりに、さらにアクセルをふみこんで、そのまま走り抜けようとしてしまいます。 アラームに抵抗して、「突っ走ればどうにかなるだろう」とばかりに、さらに同じルートのまま速度をあげて進んでしまうのです。 まさか、自分を助けるための大切なアラームが鳴っているとは思わず、今までと同じやり方で疾走してしまうのです。 ぞわぞわ、ざわわさ、どきどき・・・という怖れのアラームを感知したら、抵抗したり誤摩化したりせずに、いったん受けいれて、まずは止まってみましょう。 「これは、もう今までのやり方では通用しない、ということを教えてくれている。同じやり方をすれば、難しい道に入りこんでしまう。早く教えてもらえてよかった!」と感謝のこころでで受けとめます。 そうなのです、ぞわぞわ、ざわわさ、どきどきという感覚は、安らぎである私たちにとっては異質の状態なので、それは「自分自身からはずれていますよ!」という異常事態宣言なのです。 しかし、私たちはそのアラーム音の鳴りっぱなしにかなり慣れてしまっているようです。 なぜこのまま進んではダメなのでしょうか? それは、自分が自分をみくびっていること、裏切っていることに気づいていないからです。本来の自分自身を完全に忘れて、別物になりきってしまっているのです。 本来の自分がいないからこそ、不安な気持ちになってしまいます。そして、怖いから、手っとりばやくどうにかなりそうなものに飛びついてしまいます。しかし、それらはいつも解決策にはなりえません。 なぜなら、自分自身でつくりあげた架空の不安にこころを奪われているので、自分のこころを正常に戻すことでしか解決ができないからです。 もし本来の自分自身でいられるならば、自分のこころに備わっている強さ(光)こそがすべてを照らして、正しくしてくれるのを信じることができるはずです。 でも、自分が失われている状態では、その強さも丸ごと失われてしまっています。 さて、どうしたらいいのでしょう?
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どのような状況でも長くつづくと、それが「ふつう」になってしまいます。 人には高い適応能力があるので、たいていのことには慣れることができるのです。 しかし、「慣れる」というのは、じつは本来の自分ではない状態になることを意味しています。   なんとなくイライラする、もやもやする、どよよ~んとする・・・そんなときは「自分ではないものになっていますよ」ということを、心地悪さという感覚を使って知らせてくれているのです。   本来の自分とは、こころ安らかで幸せな状態です。それは、頑張ってなるのではなく、もともと自分に備わっている本質そのものです。澄みきった湖のように、静かで穏やかで平和な...
Published 11/08/24
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Published 10/25/24