Description
新年の抱負として、クライエントのA子さんがこのように語っていらっしゃいました。「すぐにイライラして人にあたってしまう私ですが、今年は人を責めたり、裁くことなく、こころ安らかな日々を過ごしたいと思っています」。
ついつい人にイヤミを言ったり、あげ足をとったり、攻撃してしまうクセがあり、それは相手だけでなく自分もイヤな気持ちになることに気づいたからです。
その後、その新年の抱負についてうかがってみると、このように仰っていました。「人にあたらないように気をつけたのですが、じつはさらにイライラすることが多くなり、安らかさとは程遠いのです」。
また、体調が悪くなったり、予期せぬ出来事が起こったり、人との関係もぎくしゃくして、以前よりも苦しく感じる、というのです。
「人を責めず、裁かず、いい人でいよう!」と決めたのに、これはどうしたことでしょうか?
じつは、これはよく起こることなのです。
自分の怒りや攻撃の想いを外にバラまかないように、責めず、裁かず・・・
でも、いくら責めるのをやめても、裁くことを我慢しても、ただ外側へとその想いを投げつけていないだけで、その想いはすでに自分の内側で起こってしまっているのです。瞬時に、こころのなかでとがめているし、裁いてもいるのです。
着火されてしまってた爆弾を外に投げるのをやめたとき、何が起こるでしょうか?・・・それは手元で爆発し、自爆することになります。
人に攻撃的な想いをぶつけない分、それは自分の内側で自分自身を傷つけてしまうのです。
その結果、体調不良やら、メンタル不調、イライラを招いてしまいます。また、こころのバランスが崩れた状態を外側の世界へと映し出し、それが問題となって目に入るのです。
つまり、いつもは外を攻撃していた爆弾が、自己攻撃に転じてしまったというわけです。
責めないでいよう、裁かないでいようとする努力は、安らぎを感じるための解決策とはなりえませんでした。
まずは、すでに自分自身が抱えている爆弾にしっかりと気づいてみましょう。それは、すでにそこにあるのです。そして、それこそを取り除かなえればならないのです。
爆弾はもう抱えてしまっているのですから、ないフリをしても決して安らかにはなりません。
自分のなかに人を責めてイライラしている気持ちがある、裁いて腹を立てている気持ちがある、不平不満を並べたい気持ちがある・・・たしかにあるのです。そして、あっても構わないのです。
むしろ「ないフリをしようとする」ことが、それを外側へとこっそりとぶちまける原因となるからです。
攻撃にしろ、怒りにしろ、自分のなかにある悪意は、「気づき」の光をあてることで解消することができます。
それは、「ああ、今、私のなかに怒りが湧いてきている」「相手を責めたいと思っている」「不平不満でいっぱいになっている」・・・
「でも、これらは私の望まない感情だ」と客観的に気づき、観察してみましょう。
「私は、このように悪意を感じてもかまわない・・・なぜなら、これらの気持ちは私の本心などではなく、どうせ捨て去ってしまうものだから」。
それらに「気づく」ということは、手放すこと