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どのような状況でも長くつづくと、それが「ふつう」になってしまいます。
人には高い適応能力があるので、たいていのことには慣れることができるのです。
しかし、「慣れる」というのは、じつは本来の自分ではない状態になることを意味しています。
なんとなくイライラする、もやもやする、どよよ~んとする・・・そんなときは「自分ではないものになっていますよ」ということを、心地悪さという感覚を使って知らせてくれているのです。
本来の自分とは、こころ安らかで幸せな状態です。それは、頑張ってなるのではなく、もともと自分に備わっている本質そのものです。澄みきった湖のように、静かで穏やかで平和なこころなのです。
イライラ、もやもやを感じるのは、本来の自分からずれている状態なので、何を手に入れようとも、どんなことをしようとも、幸せは感じられません。状況がどう変わろうとも、ずれていれば本来の自分の安らぎを感じることはできないからです。
つまり、幸せとはこの世界の物事、出来事とは関係がないということです。自分のこころの土台にある、安らかで幸せな状態を取り戻すことこそが大切なのです。
イライラやもやもやという警報サインを感じたならば、こころを訂正する方向へと進みましょう。
サインを無視して頑張っても、こころの警報は鳴りやむことはなく、さらにイライラ、もやもやは増していきます。
イライラもやもやサインを認識したら、まずはいったん「立ち止まり」、「なぜイライラ、もやもやしているのか?」と自分に尋ねてみましょう。
すると必ず、自分のなかに「被害者意識」があることに気づくはずです。
「私がイライラ、もやもやしているのは、あのせいだ!」「あれが悪い」「これが間違っている」と、「外側にこそ原因があり、だから私は被害者なのだ」と主張していることに気づくと思います。その被害者意識こそが、問題なのです。
被害者意識をもてばもつほど、さらに被害者になってしまうからです。
被害者意識は、ほんとうの原因から目を背けようとするエゴの企みです。その企みにのれば、状況は解決することなく、さらに悪化してしまいます。
イライラもやもやは、目のまえにある出来事から引き起こされているのではありません。
それらは、長年こころのなかに抱えてきた裁きの思いが引き起こします。
自分のなかにある裁きの思いは、目にするものに投影され、それらがまるで自分を攻撃しているような錯覚を引き起こします。
大切なのはイライラもやもやを感じたならば、ただ素直に手放してあげることが必要なだけなのです。
私たちは、イヤな感情を感じると、状況自体の分析に走るか、あるいはイヤな感情を無視するか、抑圧してしまいます。
そのイヤな感情は、放置されたままなのです。しかし、不快感として自覚されたのなら、ただその感情を手放すことで、ほんとうの自分を取り戻す、浄化の機会とすることができます。
処理することなくためこんだ裁きの思いのせいで、被害者意識が強くなり、その結果、怖れや怒りを引き起こしていました。そんな不快感に気づいたときにこそ、こころの断捨離のための絶好のチャンスだと気づきましょう。
断捨離は、いら