Description
江戸時代に、ロシアに漂流し、初めてロシアを経験して帰国した日本人がいます。
大黒屋光太夫(だいこくや・こうだゆう)。
彼は、自分が見てきたことを政治家や学者に話すことで、蘭学の発展に貢献しました。
光太夫の生まれ故郷、三重県鈴鹿市には記念館があり、彼がサンクトペテルブルクで書いた漂流記や、ロシアから持ち帰った物などが展示されています。
光太夫の冒険談は、井上靖が小説『おろしや国酔夢譚(おろしやこく・すいむたん)』に描いたり、漫画やオペラ、浪曲の題材にもなりました。
彼の人生がなぜ、これほどまでに人々の心をうつのでしょうか。
それはおそらく、どんなに過酷な運命に翻弄されても常に希望を捨てなかった生き様に、「逆境を生き抜くためのヒント」が隠されているからに違いありません。
光太夫は、冒険家でも野心に満ちた学者でもなく、伊勢国に生まれた、ごく普通の船頭でした。
彼の廻船が江戸に向かう途中、嵐に巻き込まれ、アリューシャン列島に漂着したのです。
乗組員たちを待っていたのは、極寒のシベリアでした。
日本に戻りたいと願いながら、命を落としていく仲間たち。
鎖国下の当時、同じように漂流しても、帰国を許された例は一件もありませんでした。
船員の中には、帰国を諦め宗教に生きるもの、ロシア人の女性と結婚するものなどがいましたが、光太夫は、ひとりでも帰りたい者があるうちは諦めません。
つてをたどり、最終的には、女帝エカチェリーナ2世に謁見したのです。
光太夫が日本に帰国したのは、1792年10月2日。
三重の白子港を出てから、実に10年近くの年月が経っていました。
なぜ、彼は無事帰国することができたのでしょうか?
日露交渉に多大な影響を与えた伝説の船乗り、大黒屋光太夫が人生でつかんだ明日へのyes!とは?