Description
1954年に開催された第7回カンヌ国際映画祭で、日本人として初めて、見事グランプリを獲得した映画監督がいます。
衣笠貞之助(きぬがさ・ていのすけ)。
作品のタイトルは『地獄門』。
主演・長谷川一夫。
審査委員長のフランスの詩人・ジャン・コクトーは、衣笠の、平安時代の色彩美を再現した才能に、最大の賛辞をおくったと言われています。
カンヌ国際映画祭のグランプリは、のちにパルム・ドールと名を変えますが、次に選ばれた日本人は、1980年の黒澤明『影武者』まで待たねばなりませんでした。
もともと、新派の女形。
役者だった衣笠は、映画監督としても頭角を現し、長谷川一夫とは、およそ50本あまりの映画をつくり、日本中の映画ファンを魅了しました。
群を抜いた素晴らしい功績があるにも関わらず、ほぼ同時代の映画監督、小津安二郎や溝口健二と比べると、現代にその名が受け継がれているとはいいがたい現実があります。
小説家の川端康成や横光利一、岸田國士らと、新しい映画芸術を創造しようと、新感覚派映画聯盟を設立。
その中心メンバーとして実験的な映画『狂った一頁』を発表。
日本映画初のアヴァンギャルド映画を監督しましたが、ふたをあけてみれば、大赤字。
結局、売れる映画を創り続けました。
ただ、衣笠は、いつも新しいもの、これまでにないものに興味を持ち、さまざまな手法を試すことには終生、貪欲でした。
生涯、活動写真が大好きな映画青年。
ピュアな心の原点には、ただひとつ、観客を驚かせて楽しませたいという思いがありました。
黎明期から、映画という文化の屋台骨を支え続けたレジェンド・衣笠貞之助が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?