“全体的にいいんだが三成について「ダメダメ」「決断力がない」と評価するのは徳川時代の文献だけを調べたのかなと思ってしまう。
三成が武断派武将に嫌われていたこと、関ヶ原の戦いで裏切りが続出したことは事実である。
しかし、その理由が「三成に人望も決断力もなくダメダメだったから」というのは早計では無いだろうか。
実は武断派武将の中には加藤清正のように三成と実は仲が良かった人もいる。
上記の加藤清正、福島正則、黒田長政らが起こしたとされてきた七武将三成襲撃事件も近年の研究では襲撃は無く、連名で訴えがあっただけともされる。
そもそも三成に人望が無ければ関ヶ原の戦いにおいて徳川勢を上回る規模の人間は集まらない。
大谷吉継のように政局や政策よりも友情を選んだ例ももある。
関ヶ原の戦いにおいての裏切りに関しても明確に裏切りを表面していたのは吉川広家と小早川秀秋くらいで、脇坂や赤座らは背後の小早川勢が裏切ったからそれに乗っかっただけ。
毛利家主君輝元は総大将であり、名代の秀元は空弁当まで使って総攻撃に参加しない吉川広家勢もろとも突っ込もうとして一悶着あったほどなので毛利家全体が裏切っていたわけでもない。
三成が暗殺に消極的だったのも彼の性格で、義に厚く曲がったことが嫌いな面が全面に出たのだと思う。
要するに三成は田沼意次と同じで生まれてくるのが早すぎた人だ。
特に経済政策については両者とも比類なき才能を発揮している。
動画主さんは歴史の本などを読むのがお好きな方とお見受けしたので、ぜひ三成視点で書かれた本なども読んでみて三成再評価のような動画を見てみたい。”
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02/14/24