Description
■相談者:コミックモンモン
部屋が積読された本で圧迫されてきました。
ここで普通なら、この部屋に積まれた本たちをどうやったら効率よく消化できるでしょうか?
…と相談されると思ったでしょう。
しかし、そんなことはどうでもいいのです。
本で溢れた部屋は宇宙です。
相談はこの「積読」という言葉の暴力性についてです。
この「積読」という言葉がよく出来すぎていることが問題です。
超便利!と最近まで思っていましたが…。
この言葉のお陰で、部屋や本棚に無造作に置かれたり、積まれたり、投げ出され、買ったまま未だ読まれていない本たちが、積読という一つのカテゴリーとして認識できるようになった。
言い方を変えれば「積読」というものにされてしまったのです。
積読が一般的になる前は、本棚で長年放置されている本や、押入れの奥で棚の柱になっている本や、ベッドの下でマットレスに埋もれている本や、モニターの下で高さを調整している本など、さまざまな読まれない本たちが本であることを超越し、さまざまな個性を発揮していたはずです。
それが「積読」の2文字で包括され、本のありかたの多様性が奪われているのが「人新世=積読世」です。
僕の本で溢れた宇宙だった部屋は、積読で圧迫された部屋になってしまいました。
日々多様性が叫ばれる今、この「積読」の暴力性を無条件に受け入れていいものか、日々悶々としております。
いいじゃん「積読」。便利な言葉じゃん!
このように気軽に使っていいのでしょうか?
なお、僕の部屋の最長積読は、板坂 元の「考える技術・書く技術」の16年です。
19歳の大学生のころ生協で買って、読破したのは35歳でした。
買ったまま、何故かずっと読んでいない最長積読本はなにかも教えて下さい。
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