“仮定
人は出来事の経験や頭の中での仮想体験を通じて、感情が引き出されるとしよう。
人は感情の因果関係をその記憶から合理的に再構成するとしよう。その際の感情の構成要素を構成素としよう。
人は好きな感情を再度得ることをついつい求めるとしよう。
私が了解した才能像
ある感情が好きであるとき、経験を通じてその感情を再度求めるが、それに関連する構成素を探索的に理解する事によって、欲求の対象が理解でき、構成素がよりよく感情を引き出す形になるような行為が私たちが意識的に理解できる欲求となる。それらの感情を引き出すべく、行為や判断をし、それらの反復は一定のパターンを示し才能の一端を示す。全ての好感情の束にパターンを見ると、それらは才能の全体像だ。
不明瞭な点。
1.ある感情が好きである事、好きかどうかを決定する心的な構造について。
2.構成素と因果関係を探索的に理解する働き。(たかちんは最高の経験と最悪の経験でわかるとしているがその全体像はまだ提示されてない)
3.ある感情に従って構成素を一つに集める形で評価する仕組み。2と重なる(?)
4.真に好感情のみが才能の影響を受ける領域かどうか
5.社会的な立場やそれらの変化と欲求の関連(おそらくこれが一番の難問)
6.動的な才能像を想定しない理由、身体の欠損で欲求を満たす行為のパターンは再構成されるはずだ。手段が無くなるので。
7.自己意識としての自分の社会的な立場と好感情が起こる構造.1の構造の変化や相互作用について
8.欲求が湧く要因は感情だけで説明できるのか”
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10/12/22