「週一でポッドキャスト関係者と遊んでいること」をこれまで頑なに認めてこなかったずーみんさん。この収録後、ずーみんさんから「この期間中、遊んだ人もうひとりいました。」と別のポッドキャスターの名前が上がり、まさかのカミングアウトに戦慄しました。週一の件、認めてもらって本っっっっっっっっっっっっっ当によかったです。
|今回の内臓|
(00:30)〜 裁判パート
(08:23)〜 ずーみんの交友録
(40:03)〜 セキヤの交友録
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『下心なしで人に会う』
配信の後半で「下心なしで人に会えなくなっている」という話をした。その件について詳しく書いてみたいと思う。笑い話のように話していたが、結構、深刻に捉えているところがある。
雑談系のポッドキャストで「雑談ができない」というテーマや相談メールをもとに話しているものをよく耳にする。おおよその番組で、雑談は難しいとされている。「雑談力」なんて言葉があるくらい、世の中的にも雑談は「能力」として魅力的なものとして評価されている。まぁそれが、ビジネス用語として広まっていて、本質的な意味として用いられているかどうかは置いておいて。。。
僕は雑談できない。僕が思う雑談とは「目的なしに、人と話すこと」だが、そんなことはまず無い。誰かに会うのは「この人に〇〇な話をすることで〇〇を実現したい」という、その場における、ゴールとその筋道を考えてしまう。例を出すと「リスナーの牛あいこさんに会って、なぜポッドキャストをたくさん聴いてるのか、きっかけや好きな理由などについて聞いてみたいし、そこでのエピソードを鍋モツでも話したい。」という感じだ。なので、ずーみんのように「〇〇さんに会う」のではなく、「〇〇所属の〇〇さんに会う」(例:リスナーの牛あいこさんに会う)という認識になってしまう。
僕はこういった目的意識や打算的な思考を「下心」と呼んでいる。
僕は、誰かに会ったりする時、基本的にはこういった下心がないと会うことができない。逆にいうと、下心がないと、会ったり話したりするモチベーションが生まれない。もっと直接的に書くと、意味を見出せないと行動しないし、できない。だから、初対面の人と何を話せばいいのかわからない。相手のことを知ろうと思って質問していると気づいたら質問攻めになっていたりする。攻撃は最大の防御であり、なにか利用できるところはないかという下心の表れなのだ。だから、能動的に誰かに会いたいとかもめったにない。何気ない会話をすることだってもちろんあるが「何気ない会話に実は意味があるんだ」って思いながらやっていたりする。
こういう自分が好きではない。
そういう点で、ずーみんは本当にすごいと思う。会いたいという衝動で行動できて、全力で楽しんでいるのだから。会いたいから会う、楽しい