Description
兄との雑談を番外編として配信しています。
2023年3月30日に収録したものです。
Web版『あの日の交差点』(thosedaysjunction.com)もやっています。
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前回=『【番外編】#22(前編)「 誰もが(無目的な)人類のストリームの一部になる自覚と覚悟を持てるのか」という業』を、このエピソードでもう少し具体化しているので先に聞いてもらえると内容がわかりやすいと思います。
【内容】
「生活の手触り感」=「消費者」としての自立 / 『スマホ時代の哲学』を読んで持ち帰ること→①いかに「消費者」として自立するか ②失われる自己と強化される自己 / 「いかにインディーであるか」 / 「どうやって生きるか」ではなく、「生きるとは何か」を考えろ / 「どうやって生きるか」の不毛さ / 「どうやって生きるか」をやめる宣言がMomの『勝手にしやがれ!』(https://www.youtube.com/watch?v=emQ86Jh4qu0) →よどむ現在地『#29 20代はMomと共にある!』(https://www.thosedaysjunction.com/post/188cb61aa2fb49d5bb9a42bd1b5adc7b)/ 「どうやって生きるか」はゲームの中でポジショニングすること、「生きるとは何か」はゲーム自体を問うこと / 「生きるとは何か」を実践に落とし込むとどういうこと? / それを書いたのが よどむ現在地『#31 ガールフレンドと江戸川でも散歩したらどうなの?いないの?』(https://www.thosedaysjunction.com/post/53c8dbdc8e31453b8915d0e49232d1d8) / 「消費者」として自立するというのは、語る言葉を身につけるということ / それはニヒルに見ることと同じじゃないの? / ニヒルは新たな視点を提供しない。ポジショニングにすぎない。 / 好きなものを記号的に羅列することでかなりの解像度で人を描けてしまう『花束みたいな恋をした』の暴力性と「個性は記号ではなく文脈」→よどむ現在地『#16 アイデンティティの不安定さをめぐって-『花束みたいな恋をした』から『暇と退屈の倫理学』へ-』(https://www.thosedaysjunction.com/post/021f492d48374a5097695f07c2d075e4) / この人生を歩んでいることの唯一性 / アイデンティティは相対的に決まるものではない / 「書く」ことで「消費者」として自立する / このようなスタンスは「達観している」と思われるキツさ / 自分事として目の前に現れた時はじめて「自分事」になる / 「もっと早くからこの考え方ができたらよかった」=「早くこの数学の問題の答えを知りたい」 / 伊勢康平「技術多様性の論理と中華料理の哲学」(群像2023年4月号(https://gunzo.kodansha.co.jp/61846/62031.html))は「生きるとは何か」=「消費者としての自立」の実践 / 中華料理の五味と中国古来の宇宙論の五行 / 中華料理は中国の宇宙論の実践=宇宙技芸である / 均一化に向かっているが、均一化の方向が違うから、多様であるということでしかない
【参考資料】
・『【番外編】#18(後編) スマホに熱中している時は「脳の快楽」だけで生きている? 』(https://spotifyanchor-web.app.link/e/ZFZWFTAAByb)
・オオヤミノル『喫茶店のディスクール』(誠光社, 2023)(https://seikosha.stores.jp/items/63a2b88fbcc6a03cf9f353d1)
・ 遅いインターネット『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ | 小山虎』(https://slowinternet.jp/article-category/computation/)
・webゲンロン『料理と宇宙技芸(1)麻婆豆腐|伊勢康平』(https://www.genron-alpha.com/article2020