Episodes
2024.11.17 礼拝メッセージ(ローマ9:19–29)
聖書は残念ながら、すべての人が神の厳しい「さばき」に服する必要があると語っています。そして私たちはイエス・キリストの真実にすがる以外に「救い」の道はないと、この手紙で繰り返し記されています。
Published 11/17/24
2024.11.10 礼拝メッセージ(エレミヤ30、31)
私は昔、証券会社にいたとき、経済見通しが週ごとのように変わることに対し、何とも言えない空しさを感じていました。そのような中で、決して変わることのない聖書のことばに、心がますます惹かれるようになりました。
Published 11/10/24
2024.11.3 礼拝メッセージ(ローマ9:1–18)
小さい頃から「自意識過剰」に悩んできました。高校生から大学にかけての頃、少しばかり哲学に興味を持つようになりました。世界の動きや人の心の動きを把握できそうな気になって、嬉しくなりましたが、やがてそこに「自分は人より賢くなった!」と思いたいという自意識過剰の問題が再び生まれました。そのような中で、イエスを救い主と信じる信仰に導かれましたが、そこでまた自分と人の信仰を比べるという自意識過剰が気になりました。
Published 11/03/24
2024.10.26 礼拝メッセージ(エレミヤ30–31)
キリスト教会のシンボルは「十字架」ですが、これは理性では理解しがたいものかもしれません。
Published 10/27/24
2024.10.20 礼拝メッセージ(ローマ8:26–39)
最愛の伴侶を失った方が、友人から「神はすべてのことを働かせて益としてくださる」と言われ、信仰を失いかけたと言っておられました。その人にとって「伴侶の死」は最悪の事態であり、それが将来を開くことにつながるという発想自体が、許容できない考え方でした。
Published 10/20/24
2024.10.06 礼拝メッセージ(エレミヤ26–29)
私たちはときに、主に真剣に祈りながら決めたことで、深く後悔することがあるかもしれません。しかし、あなたが主との交わりの中で選択したことは、主のご支配の中にあります。それが一見、自分に「わざわい」をもたらす計画のように見えても、それはあなたに「平安(シャローム)」を与える計画」となっています。
Published 10/06/24
2024.9.29 礼拝メッセージ(ローマ8:12–25)
人生の意味を知らない幼子に「イエス様を信じて天国に行こう!」と語るのは、少し危ない気がするのですが……。
Published 09/29/24
2024.9.22 礼拝メッセージ(エペソ3:14–21)
小生の母は、聖書はほとんど読みませんでしたが、「お前のうちに働く神の力は分かる」と言ってくれました。母が私を出産する頃、母は生きる気力を失っており、出産自体が命がけの奇跡でした。誕生した後も、一歳を過ぎた頃、高熱で扁桃腺が腫れ、医者は僕を逆さにして気道を開くため切開手術を行わざるを得ませんでした。すると何度か心臓の鼓動が止まったようですが、母の胸に抱かれるたびに心臓が動き出しました。
Published 09/22/24
2024.9.1 礼拝メッセージ(エレミヤ23:9–25)
「主 (ヤハウェ) のことば」は私たちの心にいつも「平安 (シャローム) を生み出す」というのは、偽預言者のことばです。エレミヤはエルサレムの堕落に心を痛め、主のことばを聞くことで、「私は酔いどれのように、ぶどう酒に負けた男のようになった」と言っています。
Published 09/01/24
2024.8.25 礼拝メッセージ(ローマ8:1–11)
私たちはつい自分の信仰を反省して、自分で自分の信仰を励ますような生き方をしてはないでしょうか?しかし、自分で自分を変えられるならイエスが十字架にかかる必要はありませんでした。自分ができないことをイエスが成し遂げ、私たちに聖霊を送ってくださいました。
Published 08/25/24
2024.8.18 礼拝メッセージ(エレミヤ21–23:8)
先日ハマスの最高指導者ハニヤ氏の暗殺が報じられたとき、彼の純資産額が6000億円で、安全なカタール住み、プライベートジェット機で移動しているようすが描かれたことは、パレスチナ難民の問題の闇を現わしているように思えました。
Published 08/18/24
2024.8.11 礼拝メッセージ(ローマ7:13–25)
「地獄への道は善意(良い心がけ)で舗装されている (The road to hell is paved with good intentions)」ということわざがあります。
Published 08/11/24
2024.7.21 礼拝メッセージ(エレミヤ17:19–20)
人間は基本的に、人生を楽しく、無駄な苦労をせずに生きたいと願っているのではないでしょうか。しかし、気楽に生きたいと願い過ぎる人は、かなりの確率で、余計な苦難を招いてしまいます。
Published 07/21/24
2024.7.7 礼拝メッセージ(ローマ7:1–12)
ローマ人への手紙を表面的に読むと、「律法」が否定的に理解されることがあります。しかし「律法は聖なるもの」また、私たちを真の意味で「生かす」、愛の教えです。
Published 07/07/24
2024.6.30 礼拝メッセージ(エレミヤ14:1–17:18)
人の生涯はハプニングに満ちていますが、それこそ、ハッピー(幸せ)の原点です。ハッピー、ハプニングは、古英語 “hap”(ハップ)に由来し、「偶然」を意味します。ただそれはすべて神の御手の中にあります。
Published 06/30/24
2024.6.23 礼拝メッセージ(ローマ6:12–23)
私たちは自分をクリスチャンと呼びます。それは自分を「キリスト・イエスのうちにある者」と自認しているという意味です。あなたは日本人である前に、キリストの王国の中に生かされているのです。それをパウロは、「罪の奴隷」から「義の奴隷」へと変えられたと述べます。
Published 06/23/24
2024.6.16 礼拝メッセージ(エレミヤ10–13)
私たちは神を楽しみ喜ぶことができます。しかし、神を自分の目的達成の手段にすることは許されません。そこに偶像礼拝が始まるからです。私たちはこの世の発想の延長で、無意識にせよ、神を「利用する」ような発想になってはいないでしょうか。「楽しむ」ことと「利用する」ことの区別が大切です。
Published 06/16/24
2024.6.9 礼拝メッセージ(ローマ6:1–11)
私たちは何のために生かされているのでしょうか。ときに伝道や証しのために生かされていると考えすぎると、周りの未信者の方から「あなたそれでもクリスチャンなの」と言われることに敏感になりすぎる、堅苦しい生き方になるかもしれません。
Published 06/09/24
2024.5.26 礼拝メッセージ(エレミヤ7–9)
19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、「すべての生は苦しみである……生は、まるで振り子のように……苦痛と退屈の間を行き来する……人間がすべての苦しみと悩みを地獄に追放したあとでは、天国にはただ退屈しか残らない」という皮肉を言いました。
Published 05/26/24
2024.5.19 礼拝メッセージ(ローマ5:12–21)
「死」はすべてのものを失うことのシンボルです。私たちは死において、家族や友人と引き離され、それまで築いたもののすべてを失います。実は、不安に駆り立てられている人は、心の底で「死」を恐れているとも言えましょう。
Published 05/19/24
2024.5.12 礼拝メッセージ(エレミヤ4:5–6:30)
ヴィクトール・フランクルというユダヤ人の精神科医は、ナチスドイツの強制収容所で、寒さに凍えながら強制労働に駆り立てられていました。そこでふと、愛する妻の面影を思い浮かべ、空想の中で彼女と対話し、彼女の微笑を見ることができました。そのとたん、彼は、彼女の眼差しの中で、人間の存在の意味を、「愛による、そして、愛の中の被造物の救い」であると悟ります。そして、「愛は死のように強い」という雅歌8章8節のみことばの意味が理解できたと書いています。それは伴侶でなくても、父でも母でも、またその他の大切な方の面影でも同じでしょう。人はだれかを愛することで、人生を輝かせることができます。
Published 05/12/24
2024.5.5 礼拝メッセージ(ローマ5:1–11)
23歳で大怪我をして死を望んでいた星野富弘さんが、多くの人に希望を与えて78歳で天に召されました。小学校の教科書にも載せられた、「いのちが 一番大切だと 思っていたころ 生きるのが苦しかった
いのちより大切のものが あると知った日
生きているのが 嬉しかった」という詩があります。
Published 05/05/24
2024.4.28 礼拝メッセージ(エレミヤ1:1–4:4)
エレミヤ書は現代のクリスチャンホームの子にふさわしい福音です。創造主を礼拝する幸いを教えられてきたことは大きな恵みなのですが、心を興奮させるこの世の文化の刺激を受け、信仰生活を空虚で惰性的なものに思え、心が交わりから離れようとすることがあります。表面的に取り繕ってはいても、福音の本質が心に落ちていません。
Published 04/28/24
2024.4.14 礼拝メッセージ(ローマ4:13–25)
人はときに、立派な信仰を、「何の疑いもなく、信じ通す」ことと誤解します。そして、今日の箇所でも、アブラハムの「信仰は弱まりませんでした。不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく」ということばを、そのように、アブラハムは目の前の不安な状況に動じることもなく、神への信頼の姿勢を貫いたと誤解されがちです。
Published 04/14/24