#006 仏願の生起本末のお話は、何度も聞かせて頂いているのですが、どこがちゃんと聞けていないのでしょうか?
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ブログに頂いた、ぷろぐれすさんのコメントについて話をしました。 −−−−−−−−− http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180906/1536221470#c1536313186 ●「南無阿弥陀仏と耳に聞こえているでしょう? 南無阿弥陀仏と口に称えられているでしょう? それが証拠です。 なぜ、証拠だとおっしゃっているのか、 それがわかりません。 仏願の生起本末のお話は、何度も聞かせて頂いているのですが、どこがちゃんと聞けていないのでしょうか?具体的にご指摘頂ければ幸いです。 −−−−−−−−− ・御一代記聞書より (9) 一 「他力の願行をひさしく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、むなしく流転しけるなり」(安心決定鈔・末意)と候ふを、え存ぜず候ふよし申しあげ候ふところに、仰せに、ききわけてえ信ぜぬもののことなりと仰せられ候ひき。
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質問箱に頂いた質問について話しました。 Q「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか? A「どう称えたか」によって、念仏それ自体が何か変わると思うのは疑っていることになります。それは、念仏を冷凍食品のように「レンジで解凍・あたため」をしないと食べられないもののように考えるからです。 質問箱の回答に加えて話をしました。 あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。(行文類・P186) 番組の感想、質問は ...
Published 04/08/23