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質問箱に頂いた質問について話しました。
Q「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか?
A「どう称えたか」によって、念仏それ自体が何か変わると思うのは疑っていることになります。それは、念仏を冷凍食品のように「レンジで解凍・あたため」をしないと食べられないもののように考えるからです。
質問箱の回答に加えて話をしました。
あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。(行文類・P186)
番組の感想、質問は
ブログ安心問答 https://anjinmondou.hatenablog.jp/
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Published 04/08/23
今回は、質問箱に頂いた内容について話をしました。
質問
「蓮如様は、口に念仏申しただけでは足すからぬと仰っていると思います。
一方で、阿弥陀様の御本願には、お念仏をとなえる衆生を必ず助けるとお誓いになられています。
蓮如様のお言葉をどう解釈したらよろしいでしょうか?
今私は助かりたい一心で、御本願を信じてお念仏をあげています。
今のままでは助からないのでしょうか?」
今回紹介した御文章。
答へていはく、まづ世間にいま流布してむねとすすむるところの念仏と申すは、ただなにの分別もなく南無阿弥陀仏とばかりとなふれば、みなたすかるべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなきことなり。(略)
他力の信心といふことを一つこころうべし。さて他力の信心といふ体はいかなるこころぞといふに、この南無阿弥陀仏の六字の名号の体は、阿弥陀仏のわれらをたすけたまへるいはれを、この南無阿弥陀仏の名号にあらはしましましたる御すがたぞとくはしくこころえわけたるをもつて、他力の信心をえたる人とはいふなり。この「南無」といふ二字は、衆生の阿弥陀仏を一心一向にたのみたてまつりて、たすけたまへとお...
Published 05/11/22
ブログ記事はこちら
安心問答ー浄土真宗の信心について-
話の中に出てくる御文
いかにいはんや十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。(顕浄土真実行文類 - WikiArc・浄土真宗聖典註釈版P187)
(82)
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃 - WikiArc・浄土真宗聖典註釈版P571)
質問箱はこちら
Published 05/04/22
ブログ安心問答ー浄土真宗の信心についての音声版として配信をしています。
今日の質問は質問箱のこちらからです。
話のなかで出てきた尊号真像銘文。
「「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。」
Published 04/28/22
質問の全文は、ブログ安心問答浄土真宗の信心についてをご覧ください。
Published 04/19/22
#032「心が南無阿弥陀仏になるというのはどういう意味なのでしょうか?」(頂いた質問)
Peing-質問箱-に頂いた質問について話をしました。
話の中に出てきたご文
(安心決定鈔より)
【6】 念仏三昧において信心決定せんひとは、身も南無阿弥陀仏、こころも南無阿弥陀仏なりとおもふべきなり。ひとの身をば地水火風の四大よりあひて成ず、小乗には極微の所成といへり。身を極微にくだきてみるとも報仏の功徳の染まぬところはあるべからず。されば機法一体の身も南無阿弥陀仏なり。こころは煩悩・随煩悩等具足せり、刹那刹那に生滅す。こころを刹那にちわりてみるとも、弥陀の願行の遍ぜぬところなければ、機法一体にしてこころも南無阿弥陀仏なり。弥陀大悲のむねのうちに、かの常没の衆生みちみちたるゆゑに、機法一体にして南無阿弥陀仏なり。
われらが迷倒のこころのそこには法界身の仏の功徳みちみちたまへるゆゑに、また機法一体にして南無阿弥陀仏なり。浄土の依正二報もしかなり。依報は宝樹の葉ひとつも極悪のわれらがためならぬことなければ、機法一体にして南無阿弥陀仏なり。正報は眉間の白毫相より千輻輪のあなうらにいた...
Published 07/21/21
「真宗において
称える心、聴聞しようとする心、
それらをもともと持たない私たちが、
阿弥陀仏のお働き、お育てにより念仏を称えるという
内容を見聞きすることがありますが、
念仏しようとしたり、聴聞しようとする殊勝な心を
私達は元来、持っていないという内容はお経の中にありますでしょうか?
いまいちお経のどこから出てきた内容なのかがわかりません。
教えていただければ幸いです。」
について話をしました。
安心問答 浄土真宗の信心について
Published 06/04/21
#030
今回は質問箱に頂いた質問
「ただ今助けるという阿弥陀仏の本願を『許諾する』『受け入れる』『聞き受ける』等という表現がされますが、そのニュアンスがよくわかりません。
自分の心でただ単に『許諾した』と思い込むことでもないですよね?」
について話をしました。
質問箱はこちら
関連したブログ記事
「『南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と聞く』というのは、南無阿弥陀仏の謂れ(善導大師・親鸞聖人・蓮如上人等の六字釈等)を思い出しながら、念仏を称え、それを聞くことでしょうか?」(Peingで頂いた質問)
Published 10/10/20
質問箱に頂いた質問
「自力を捨てるとは、自力が問題にならなくなることですか?それとも自力が意識から消えるのでしょうか?」
について話をしました。
話の中で出てきたご文
自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。(唯信鈔文意 註釈版浄土真宗聖典P707)
http://ur2.link/RYIS
ブログ安心問答−浄土真宗の信心について−
https://anjinmondou.hatenablog.jp/
Published 04/25/20
質問箱に頂いた質問について話をしました。
「信後には安心がありますか?」
話の中で出てきたご文
弥陀の名号称えつつ 信心まことにうるひとは 憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり(浄土和讃)
http://ur0.work/znv3
ブログ
安心問答−浄土真宗の信心について
Published 04/11/20
質問「逆謗の死骸である機を見つめよとか、機はほっといて法の尊さに目をつけよとか言いますが、どららが正しいのでしょうか?どちらもそんなに気にせずに聴聞すればいいのでしょうか?」
についての話をしました。
話の中に出てくる親鸞聖人の御言葉
摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。(教行信証 総序)
http://urx.space/Ue4Z
浄土真宗聖典註釈版P132
https://anjinmondou.hatenablog.jp/
Published 03/31/20
パロディ (id:parotan) 2019-08-20
交通の便が悪い田舎に住んでいることや、自分の体調のこともあり、なかなかお寺へ参ることができません
そのため本を読んだりネットで法話の動画を見て浄土真宗の勉強をしているのですが、聴聞をしないものは救われないのでしょうか。について、思ったことをラジオ版で話してみました。
Published 08/25/19
今回は、頂いた質問
「阿弥陀仏の本願に対する疑いがどうしても晴れません。悩んでいます。救うと誓われているのになぜ獲信者が少ないのでしょうか」
について話をしました。
−−−
今回出てきた和讃は、以下
正像末和讃
(67)
自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがへば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける
(68)
仏智不思議をうたがひて
善本・徳本たのむひと
辺地懈慢にうまるれば
大慈大悲はえざりけり
https://bit.ly/2JFKyWN
−−−
番組に対する感想・質問があれば、ブログ安心問答コメント欄または、
[email protected]までお願いします。
Published 07/13/19
https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2019/03/21/055958
に関連した内容をラジオ版で収録しました。
・一 あさの御つとめに、「いつつの不思議をとくなかに」(高僧和讃・三三)より「尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かな らず滅度にいたらしむ」(高僧和讃・三八)と候ふ段のこころを御法談のとき、「光明遍照十方世界」(観経)の文のこころと、また「月かげのいたらぬさとはなけれども ながむるひとのこころにぞすむ」とある歌をひきよせ御法談候ふ。なかなかありがたさ申すばかりなく候ふ。上様(蓮如)御立ちの御あとにて、北殿様(実如)の仰せに、夜前の御法談、今夜の御法談とをひきあはせて仰せ候ふ、ありがたさありがたさ是非におよばずと御掟候ひて、御落涙の御こと、かぎりなき御ことに候ふ。(御一代記聞書2)
・スイカ泥棒の話
Published 03/23/19
猿松 2019-02-28 12:03:25
(略)
あれから「おまかせする」ということについて考えておりました。 「弥陀の本願信ずべし」とは「弥陀をたのめ」ということであり「阿弥陀仏におまかせする」ということである。これを詳しく言うと「阿弥陀仏に自分の後生をおまかせする」ということなると思います。 しかし自分の心底を見てみると、本当に阿弥陀仏の存在も自分の後生の存在も信じているのか、かなり怪しいところです。 では、なぜ浄土真宗を求めているのかといえば、「このままではロクなことにならない」という漠然とした将来の不安と「この教えには何かある」という漠然とした希望でしかありません。 こんな私が「阿弥陀仏に自分の後生をおまかせする」には具体的に何をすればよいのか、お念仏すればよいのか、聴聞に行けばよいのか…しかしこういう思考で念仏したり聴聞したりすること自体ダメだというのはわかります。 つまりしてはならないことはわかるが、してよいことがわからない(してよいことを考えること自体ダメですが…)だからしてはならないことを、ついついしてしまうといった感じで、行き詰まっております。...
Published 02/28/19
ブログ記事
https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2019/02/02/203016
に関連して、
罪障功徳の体となる
氷と水のごとくにて
氷多きに水多し
障り多きに徳多し (高僧和讃)
のご和讃について話をしました。
過去の理解と今の理解の違い「罪障と功徳が等価にならない」について話をしました。
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ぷろぐれすさんから頂いたコメントについて話をしました。
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#020「金剛心になると聞いたことがあります。なにが金剛なるのでしょうか?」(頂いた質問)
Published 01/13/19
頂いた質問
「命がけで聞かないと救われないのでしょうか?」について話をしました。
(63)
一 仏法者申され候ふ。わかきとき仏法はたしなめと候ふ。としよれば行歩もかなはず、ねぶたくもあるなり。ただわかきときたしなめと候ふ。(御一代記聞書)
Published 01/05/19
今回は頂いた質問
「私はなぜ助からないのでしょうか」について話をしました。
Published 12/31/18
#017 今回は南無阿弥陀仏と念仏していてもいかにもありがたそうに称えられる人の念仏と比べると、私が称える南無阿弥陀仏と違うのではないかと思ってしまいます。という方からの質問について話をしました。
Published 12/23/18