Episodes
御文章、領解文に書かれている「たすけたまへ」「弥陀をたのむ」について話をしました。
Published 12/01/18
園児さんのコメントより 「易往而無人」について話をしました。 −−−− 律宗の用欽のいはく、「法の難を説くなかに、まことにこの法をもつて凡を転じて聖となすこと、なほし掌を反すがごとくなるをや。大きにこれ易かるべきがゆゑに、おほよそ浅き衆生は多く疑惑を生ぜん。すなはち『大本』(大経・下)に〈易往而無人〉といへり。ゆゑに知んぬ、難信なり」と。 (教行信証信巻 註釈版聖典248頁) この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あら、やうもいらぬとりやすの安心や。されば安心といふ二字をば、「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。さらになにの造作もなく一心一向に如来をたのみまゐらする信心ひとつにて、極楽に往生すべし。あら、こころえやすの安心や。また、あら、往きやすの浄土や。これによりて『大経』(下)には「易往而無人」とこれを説かれたり。この文のこころは、「安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまゐりやすけれども、信心をとるひとまれなれば、浄土へは往きやすくして人なし」といへるはこの経文のこころなり。 (御文章2帖目第7通 註釈版聖典1119頁) −−−−−−−−−−−
Published 11/17/18
今回は園児さんのコメントから 「愚者になりて往生す」(末灯鈔)について話をしました。
Published 11/10/18
今回は 「心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。」(御一代記聞書232)の意味について質問を頂いたので話をしました。 ------- 一 おなじく仰せにいはく、心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよと思ふが、心得たるなり。少しも心得たると思ふことはあるまじきことなりと仰せられ候ふ。されば『口伝鈔』(四)にいはく、「さればこの機のうへにたもつところの弥陀の仏智をつのらんよりほかは、凡夫いかでか往生の得分あるべきや」といへり。 (御一代記聞書232 https://bit.ly/2Qg0iSn) ---------
Published 11/03/18
今回は、「阿弥陀仏に救われるのに、信心決定するのに、早い人と遅い人がなぜいるのでしょうか?」という質問について、話をしました。
Published 10/29/18
メールで頂いた質問 歎異抄一章に「摂取不捨の利益」と仰っておられるとお聞きしますが、その世界は、どういう世界でしょうか。 について話をしました。 今回収録に出てきた御文 弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなり と信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。(歎異抄) http://labo.wikidharma.org/index.php/歎異抄#.E7.AC.AC1.E6.9D.A1 (114) 超日月光この身には  念仏三昧をしへしむ  十方の如来は衆生を  一子のごとく憐念す(浄土和讃) http://labo.wikidharma.org/index.php/浄土和讃#P--577 真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。(御消息) http://labo.wikidharma.org/index.php/親鸞聖人御消息#.E6.9C.AB.E7.81.AF.E9.88.94.281.29
Published 10/13/18
タロウさんのコメントについて話をしました。 以下、ブログのコメントより −−−−−−−−− タロウ 2018/10/06...
Published 10/06/18
今回の頂いた質問 「法座に足を運ぶ時、今日こそは聞いて疑いない身になろうと思っています。しかし、法座が終わると今日も駄目だったかと肩を落として帰っています。こう言う状態がずっと続いていますが、どう聞いたらいいでしょうか」 不断光ということから話をしました。
Published 09/29/18
今回は「本願を聞いても、有難いとは思うものの、なかなかそうだなと思えません。どう聞いたらいいのでしょうか?」について
Published 09/23/18
メールで頂いた質問。 「信心決定すると疑心あることなしということですが、どういう状態が疑心あることなしなのかが、正直わかりません。」 について話をしました。
Published 09/15/18
ブログに頂いた、ぷろぐれすさんのコメントについて話をしました。 −−−−−−−−− http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180906/1536221470#c1536313186 ●「南無阿弥陀仏と耳に聞こえているでしょう? 南無阿弥陀仏と口に称えられているでしょう? それが証拠です。 なぜ、証拠だとおっしゃっているのか、 それがわかりません。 仏願の生起本末のお話は、何度も聞かせて頂いているのですが、どこがちゃんと聞けていないのでしょうか?具体的にご指摘頂ければ幸いです。 −−−−−−−−− ・御一代記聞書より (9) 一 「他力の願行をひさしく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、むなしく流転しけるなり」(安心決定鈔・末意)と候ふを、え存ぜず候ふよし申しあげ候ふところに、仰せに、ききわけてえ信ぜぬもののことなりと仰せられ候ひき。
Published 09/08/18
「地獄へ堕ちるかよりも浄土往生を願う本願を聞いて下さいと聞きましたが、気になります」と頂いた質問について話をしました。 お知らせ  兵庫県西宮市での響流会さまの「にしのみや聞法会」で話をさせていただくことになりました。 http://kourukai.org/?p=331 −−−− 日時:9月22日(土) 講題:『お彼岸の由来。何をする日?』 時間:午後3時~午後4時半 (途中休憩) 場所:西宮市勤労会館3階 第 6会議室 (会場前に案内を出しております) −−−−−−−−
Published 08/28/18
田子さんからの質問についての話。http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180815/1534315786#c1534754553 「各お寺で聴聞をさせていただいているのですが、なかなか阿弥陀仏の本願に対して疑いがはれません。どうすればはないとお聞きしますが、聴き方に対する注意点などありますでしょうか。よろしくお願いします。」 について話をしました。
Published 08/21/18
2018/08/11のブログ記事 「ブログを読めば(聞法すれば)救われるというのは間違いのように思いますが、読まない方がいいとも思いません。身の置き場がないように感じますが、どのように受け取れば宜しいでしょうか?」(ぷろぐれすさんのコメントより) についての追加の話です。 関連記事 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180811
Published 08/12/18
今回は、メールで頂いた質問。 「仏教の難しい言葉はあまりわからないので、ブログを読むときお聖教の言葉はほとんど飛ばして読んでいますが、これでいいでしょうか?」 について。
Published 08/04/18
ブログで10年間続けて来た安心問答に、音声版を追加して作成して見ました。浄土真宗の教えや信心についての問答をしております。 今回は、メールで頂いた 「よくいつも阿弥陀仏は私に寄り添ってくれているという話がありますが、目に見ることができず、いったいどこにいるのだろうという気がいつもします。」 について話をしています。 関連記事 http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180728/1532762423
Published 07/29/18