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最近「非認知能力」という言葉をよく耳にすると思いますが、その本質は何でしょうか?
認知能力は、学校のテストで測れる能力/非認知能力は、それ以外の能力
という分け方は、なんか しっくりきません。
非認知能力の本質を馬とのコミュニケーションから捉え直してみます。
今回も引き続き、宮台真司さん×おおたとしまささんのトークライブでの気づきを共有いたします。
トークライブでは、何かに接触をした時に、力が湧いてくるモノが非認知能力であって、聖なる力だと話されていました。
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まず、ロゴス/ピュシスの概念から、認知能力/非認知能力を考えていきます。
力が湧いてこないモノは、言葉・法・損得勘定の中にあるモノで、「ロゴス(里・法・システム)」の世界閉じ込められているモノ。
ロゴスの反対は、「ピュシス(森・自然・万物)」で自然や万物の世界で、言葉・法・損得勘定の外にあるモノ。
日本の森のようちえんは、森と里の中間に位置する里山で活動していたり、森と里を行ったり来たりしています。
馬も人間の世界と自然の世界の橋渡しをしてくれて、ロゴスとピュシスの間を行き来する存在です。
言語にもロゴス的なモノとそうでないモノがあります。
ロゴス的言語は「表現」:同じ世界には入れない時に使う言葉。相手をコントロールするためのモノ
詩的言語は「表出」;同じ世界に入るために使う言葉。その言葉が他者に感染して、世界を共に感じる。認知ではなくて、力の流れを感じるモノ。
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ここまでの話を、馬の取り組みから捉え直してみます。
馬と一緒に何かやるというのは、ここでいう力が湧いてくる、力の流れを起こすことです。
1月の馬の暮らし型セラピー勉強会の実技のテーマが「馬と一緒に歩く」でした。
馬と一緒に歩くのは、「引き馬」とも言われますが、リードで物理的な力で引っ張ることはしません。
馬と一緒に歩く時には、最初は「行くぞ」と思って、歩くのですが、最終的には、指示・命令する意識を無くしていきます。しばらくやっていると、無心となって私がただ歩くと馬も一緒に付いて歩く。馬と一体となる感覚になります。
馬が一緒にいることは意識にあるのだけれど、何かさせるという強い意識を持つこともなく、ただ歩くことに集中します。歩行瞑想をしているような感じです。
以前、不登校の女の子が、月1で来ている時がありました。
馬と歩いている時に、自信なさげにやっていたので、「自信ある感じでやってごらん」と伝えて、
彼女なりに、歩き方を変えたら、馬も元気よく歩くようになりました。
その馬の変化を彼女も受け取って、最初は形だけ歩き方を変えただけだったのですが、表情もフワッと明るくなって、自信がみなぎる感じに変わりました。
この時の様子は、まさに力を与え合うようなものを相互にやり取りしていた、聖なる力を交換していてた瞬間だったと思い出されました。
身体が変わると、心も変わって、周りの世界も変わります。私の心と身体が一致して、馬と同じ世界に入って、力が流れ始めて、周りの世界も変化していきます。
身体性は、非認知能力と密接に関係していて、
心と身体は、もともと一緒のはずなんだけど、そこを一致させることで、真の非認知能力が発揮さ