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「布施」には財施と無財施がある。
ミャンマーなど上座部仏教で僧侶の托鉢に入れるものはいわゆる財施である。生活必需品であったり、お金であったり、食品類などだ。まさにこれはインドで経験した「バクシーシ(喜捨)」で、人々は喜んで布施し捨てているのだ。鉢に入れたもので喜んでもらえると思い、そのことで心が満たされ平安になり、その功徳により後生さえも幸せになれると考えられているのだ。
しかし財施できるということは、捨てるものがあるからこそであって、なかにはそれすらない人たちだって多くいる。
はたしてそのような人たちにそれに代わる功徳があるのだろうか。
仏教ではすべての人たちに、もちろん財施できない人たちにも功徳ある布施の方法を説いている。
それが「無財施」なのだ。
一般的に「無財の七施」としてよく知られているのがこれだ。
「眼施」いかなる人にも温かいまなざしを忘れず接すること
「和顔施」なごやかな笑顔で接すること
「言辞施」相手を思いやる言葉で満ちていること
「身施」あなたの力でつねに人の手助けをすること
「心施」うれしいときも悲しいときも相手の心に寄り添うこと
「座施」相手の疲れを察し席を譲るように自分の立場を差し出すこと
「舎施」雨に濡れてる人に軒を貸すように温かく迎え入れること
お金のある人はお金でできます。お金がなくてもあなたの笑顔や言葉や振る舞いなどでも布施はできるというのが無財施の教えなのだ。
しかも仏教では笑顔や言葉でもって表現できない人でも「祈る」ということで布施できるとするのだ。言いかえると人はすべて布施できる立場にあるということになる。
ちなみに「座施」や「舎施」には、粗末な布を巻いただけの修行者が法を説きながら歩いた、古代インドの仏教者に対する接し方というものが色濃くのこされているように思う。
それは、広い大地を歩きまわり、疲れきった修行者の体をこころよく休めさせることは、尊い布施であったのだ。
田舎坊主の自坊にも私が子どものころ、みすぼらしい姿の行者のような人が、「本堂の軒でもいいから泊めて下さい」
と、よくやってきた。
母は毛布と枕を差し出し、本堂で一夜の宿を貸していたが、私はただただ怖さが先立っていた。
翌朝には、母がその行者におにぎりを持たせ、旅の無事を告げて見送っていたのを今でも覚えている。
考えてみるとこれこそ、「舎施」であったのだ。
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1978年来日したマザーテレサは東京での講演で、
「貧困であること、障害があること、病気であることは決して不幸でも悲しいことでもない。人間にとって一番不幸で悲しいことは、だれからも必要とされず、認められず、孤独であること。しかもそういう人が先進文明諸国の都会にたくさんいる」
との主旨の話をした。マザー・テレサに会いたいと思った。
1989年5月、難病の人たちの患者会である和歌山県難病団体連絡協議会を設立した私は、その年の八月から九月にかけてはじめてインドへ行った。
ベナレス(バナラシ)の「死を待つ人の家」に行けば、会えるかも知れないという期待をもっていたのだ。
そこは正式には「カルカッタ公社ニルマル・ヒルダイ」と呼ばれていた。
「カルカッタ」という地名の語源となった、カー