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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/14/24
2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/08/24
2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 10/31/24
2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 10/24/24
2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 10/17/24
いつも田舎坊主の読み聞かせ法話をお聴きいただきありがとうございます。 「田舎坊主の七転八倒」は、11日(金)の<おわりに>まで24エピソードお聴きいただきましたが、来週10月18日金曜日からはエピソードを2~3話ずつまとめた、「田舎坊主の七転八倒 <まとめ編>」をお送りいたします。 引き続きよろしくお願いいたします。 合掌
Published 10/11/24
ここ40年で寺のようすは大きく変化しました。 かつてお葬式は、住み慣れた自宅で行われました。上座敷を開け、タンスなどを移動し、障子やふすまを外し、親戚総出で片付けをしなければならなかったものです。しかし、いまではセレモニーホールなどで行われることが当たり前になり、役付きの人たちが葬列を組んでいく野辺の送りもなくなりました。 また、20数年前まで行われていた土葬の葬送はなくなり、すべて火葬に変わりました。それにともない、お墓のようすも変わりました。平成7年ごろまでは埋葬した上に石碑を建てたものですから、基本的には個人墓の石碑が建てられていました。しかし今では先祖代々の石碑が主流となり、その中に納骨する祀り方に変わってきています。 さらに法事は、この田舎でも専業農家の減少とともに勤め人が多くなって日曜日や祝日に集中し、休日に2軒以上が多くなったため、斎(とき)という食事に同席することがなくなりました。 そして深刻なのは高齢化です。檀家さんも高齢の一人住まいとなり、坊主の方も後継者不足で高齢化しているのです。 お寺の世界もこれからはITの時代となり、思わぬ変化をもたらすのかも...
Published 10/10/24
平成27年1月28日、初不動の大祭を例年どおり開催しました。 ...
Published 10/03/24
新彊ウイグル自治区が外国人に開放されてまもなく、中国西域シルクロードを旅行したときのことです。 タクラマカン砂漠のもっとも西方のカシュガルという町のはずれにあるイスラムのお墓に案内してもらいました。そこでまず目に入ってきたのは、背の高い木の棒の先に干からびた毛皮のような物が突き刺さっている、よくわからないものです。 私は通訳を通して、「これは何ですか?」と聞くと、「ここの墓に埋葬された人が、羊のおかげで今まで生きてこられてたので、これはその供養のために立ててあるのです」と教えてくれました。 そういえば、シルクロードに入ってから、いたるところで羊の群れに出会いました。オアシス以外、緑は決して豊かではないのに、羊が多いということは、羊が如何にたくましく人間と共存しているかがわかります。 羊は「歩く食料」であることはいうまでもなく、しかも年間雨量60ミリ、年間蒸発量3000ミリと言われる大乾燥大地のシルクロードでは、気温が下がる夜に羊の毛はなくてはならない衣料となり、昼間も人間を乾燥から守る大切な服にもなるのです。 また、羊の肉を食したあとの皮はほとんどが「ふいご」となり、カ...
Published 09/26/24
この田舎寺もご多分に漏れず檀家さんの数は減少傾向にあります。かつては全部で600戸近い檀家さんがありましたが、飯盛鉱山という銅鉱石を産出する銅山が1970年に閉山廃鉱になると、200戸以上がこの地を去っていったため、現在では380戸ぐらいに減少しています。 その後も多くの檀家さんが出ていかれましたが、そのうちの何軒かは今でも出檀家(でだんか)として法事やお盆のお参りなどはこの田舎寺と縁をもってつながっています。その理由は田舎から出て行っても同じ宗派のお寺が近くになかったり、やはり先祖代々お世話になったふるさとのお寺の坊さんにお参りなどはお願いしたいと思われている方も多いからでしょう。 もう一つの理由は、お墓がふるさとにあるということです。田舎を離れて行かれた方の中にはお住まいのところでお墓を求めることが困難な方も多くいるようなのです。近頃は「墓じまい」という言葉も出ているようですが、まだまだ田舎ではお墓がなければ「はかない」と、春秋の彼岸やお盆には多くの方がお参りをしてきれいにお祀りをされている姿が見られます。 このように縁をつないでいる出檀家さんは、橋本市から和歌山市まで...
Published 09/19/24
仏教には声明(しょうみょう)というのがあります。 最近、高野山真言宗では「高野山声明の会」というのも結成されています。この会は本堂などのお堂で催される宗教行事だけではなく、さまざまな音楽ホールなどにおいてショーアップし公演されることも多くなりました。若いイケメンのお坊さんたちが法衣を着け、手にそれぞれ妙鉢(みょうはち:シンバルのような楽器)や散華(本来は花びらですが、絵柄の入った紙が多い)を入れた金色に輝くお盆などをもって、メロディーのついたお経を声を合わせてを唱えているのをご覧になった方も多いことと思います。 お坊さんのなり手が少ないなかで、このようなイベントが幅広く行われ、人材発掘の大きな契機ともなっているのです。ちなみに平成27年は弘法大師が高野山を開創して1200年になります。この大きな行事を前に全国で多彩な「お待ち受け法要」というものが開催されていますが、そのなかでもこの声明公演はひときわ人々の心を引きつけているように思います。その理由はおおぜいの僧侶のきらびやかな法衣衣装であり、厳かなたたずまいや厳粛な作法であり、ライトアップの舞台演出等々であることはいうまでもあ...
Published 09/12/24
いまお寺では後継者不足が深刻な問題となっています。 その主な理由は、子どもが親の働く姿を見ていて継ぎたいと思えるような仕事ではないこと。現金収入とはいいながら子どもを育て独り立ちさせるまでの教育費などを考えると、安定した十分な生活資金が入ってくるとは考えられないこと、などがあげられます。もっと具体的に言えば、急激な檀家の減少、直葬や家族葬とよばれるようなお葬式の小規模化、宗派本山への負担金の高騰、法衣などの新調費や寺の維持管理費、嫁さんの来手がない、などです。 一方では住職の生活さえままならない田舎の檀家寺があります。他方では裕福な観光寺や信者寺などが数多くあります。 いまの日本は格差社会が広がっているともいわれていますが、私ども坊主業界もかなり格差がはげしいのではないかとも思っています。そんな田舎寺なのに「坊主丸もうけ」と思われているのですから、やはり現実とかけ離れた生活を強いられる寺の跡継ぎが好まれないのは当然なのかもしれません。 お寺の跡継ぎがいないということは、あるときにはきびしい現実を目にすることがあります。お寺には「結集」とよばれる互助組織があり、これは住...
Published 09/05/24
私のいる村は旧高野街道の高野七口とよばれるうちの一つで、大門にいたる紀ノ川の入り口に当たり、「大門四里」の石標も残っています。 当地は重要な宿場町で、大和街道と高野街道の分岐点にあたり、昭和36年頃まで、川の近くにある茶屋町とよばれるところでは市も開かれ、高野参りの巡礼者たちは、旅館や茶店、薬屋で必要な品を買い求め、大門へと向かったのです。この茶屋町を過ぎれば峠までは急坂が続きます。この坂道に沿うように民家はもちろんのこと、お墓もそれぞれの家が自分の畑の近くに建ててます。そんな場所にあるお墓でも、昔は土葬でした。 ...
Published 08/29/24
私が葬式で導師をつとめるようになってまもなくのころのおはなしです。 現在のようなセレモシーホールなどで通夜、葬式をつとめ、出棺は自動車で火葬場へ行くというものに比べれば、昔はかなり丁寧な葬送の儀式であったように思います。 私のいた村では平成5年ころまで、葬式はすべて自宅で行われていました。そして「野辺の送り」でそれぞれ役割の仏具を持ち、葬列を組んで墓地までいくのです。 その前には、「山行き」とよばれる墓の穴を掘る役の人が町内会から当番で選ばれ、彼らが朝早くから掘った幅60センチ、長さ200センチ、深さ160センチの埋葬地で土葬前の供養をつとめるというのが普通のお葬式の形でした。 かつての野辺の送りには、命の限りや生き方などを見つめさせる深い意味がありました。 出棺する少し前から一番鐘、二番鐘、三番鐘と大きな鉦鼓が当家の玄関先で鳴らされます。遠くにいる人たちにも、もうすぐ出棺が近いことを知らせるのです。そのあと最後の別れを済ませたあと生前使用していた茶碗が割られ、もうここでは食事をする場所がないことを死者に知らせます。 そして最後に棺を庭に出して右回りに三回まわり、この...
Published 08/22/24
坊主はお布施で生活しています。 正確にいうと、私の場合、お布施という資金を宗教法人不動寺という会社が布施収入としてプールし、その会社から人件費として坊主に支払われます。もちろん収入が人件費を上回っていれば問題はないのですが、ときどき毎月の人件費支払額に満たない場合もあります。法人の貯えが相当あれば当然それでまかなわれることになるのですが、なかなかそううまくはいかないのが現実なのです。それでも毎月、源泉徴収をし、12月末には年末調整をし、税務署や役所に報告しなければなりません。 つまり実際には決めた月給の半分もいただいてない、というかお布施が少なくて払えないときでも、決めた額で記帳し申告するのです。 また、本来ならボーナスもいただきたいところですが、いまだかつていただいたことがありません。これはまさに零細企業そのものです。 檀家さんでも私たち坊主が月給取りで、源泉徴収事務をし、年末調整のうえ税務署などに申告していることを知っている人はほとんどいません。「坊主丸もうけ」と思っているのです。 本来、古来インドや上座部仏教の地域では僧侶は生産活動をしないため、庶民や信者などから...
Published 08/15/24
田舎坊主の七転八倒<お爺さんの珍接待> 田舎寺の檀家さんも高齢化が急速に進んでいます。 後を継いでもらいたい息子たちはきつい労働を強いられる割には収入の少ない農業を嫌い、町に出て就職、結婚し、家を建て、あらたな家庭を持って田舎に帰ってくることはなくなりました。娘さんたちも大学を出て就職し、サラリーマンと結婚し、これもあらたな生活を町で始めるようになっています。 田舎に帰ってくるのはお盆と正月、といいたいところですがそれさえも帰らない子どもたちが増えているのです。 お盆であれ正月であれ、自分の家庭が一番なのでしょう。せっかくの休みですから、家族旅行などが優先され、田舎に足を向けることはほとんどなくなってしまいました。ましてや今は田舎に帰って親の顔を見なくても、湯沸かしポットをインターネットにつないでおけば、親がそのポットを使わなければスマートホンがそのことを知らせてくれるのですから、安心して「放っておける」時代なのです。 田舎に残るのが老人ばかりになるのは当然のことかもしれませんが、それにしても寂しい時代になってきていることは、こういった現実が教えてくれています。 ...
Published 08/08/24
当田舎寺ではお盆になると、出檀家さんを含めて約四百軒お参りします。 これを棚経というのですが、昔は各家でご先祖さまを迎えてお祀りするための棚をつくり、そこにご先祖さまが帰ってくるための乗り物として、茄子などの野菜と割り箸で動物を形づくりお祀りしたものです。 お盆にはこの前でお経をあげることから棚経といわれるようになりました。 8月10日から14日まで私ひとりでお参りしていたころには、一日に100軒、午前5時から夕方5時頃までかかる日もありました。 一軒あたりの読経時間はせいぜい7~8分ぐらいですが、とにかく数をこなしてお参りを済ませる必要があるため、ゆっくり悠長にロウソクやお線香をつけたりすることはできません。 玄関から挨拶しながら仏間まで一気に上がり込みます。 家に入っていいか、座敷に上がっていいか返事を待ってる暇はありません。幸いお参りする日は決まっていますので玄関は開いています。お家の人がいようがいまいが、とにかく上がって仏壇の前に座ります。座るやいなやリンを2回鳴らし、読経をはじめるのです。それからロウソクやお線香に火をつけお供えします。もちろんお経を拝みながら...
Published 08/01/24
2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。 テレビの情報番組が特別番組に切り替わり、東北地方で発生した大地震による未曾有の大津波を生中継する画面に私は釘付けになりました。 みるみるうちに濁流が滑走路に進入し、車も飛行機も押し流され、空港ターミナルが浸水していく仙台空港をテレビは映しだしていました。その瞬間、胆道閉鎖症という難病のわが子を助けたいとの一心で、昭和六十年はじめて飛行機に乗って降り立ったのが仙台空港だったという記憶が私の頭をよぎりました。 一年半入院し、お世話になった仙台のため、東北のために、何かしなければという思いが沸々とわき上がってきたのです。 地震発生から4日目の3月15日、私は銀行からほとんど全財産といえる1000万円をおろし、その足で地元の紀の川市に「大震災で困っている方に使って下さい」と寄付を申し出ました。 このとき、紀の川市ではまだ募金の窓口はできていなかったので保留となり、その後、市長さんから「紀の川市の名前でいろいろな方からの募金として合算して報告するにはあまりにも高額なので、あなたの名前で日本赤十字和歌山支部に持っていってもいいです...
Published 07/25/24
法事で「仏前勤行次第」を差し上げるようになってからしばらくしてのことです。 ある檀家さんから、「お経のリズムや息を継ぐ場所がわからんので、テープに録音したのがほしいんだが・・・・」と言われました。 お経は確かにリズムや区切る場所など決められたものもありますが、ほとんどの場合あまり気にせず自分の唱えやすいように唱えればいいと私は思っています。 なかには耳なれたフレーズがお経の唱えやすさ、覚えやすさにつながっている場合もあります。 それはそれでとてもいいことで、意味や内容を考慮しなくても充分功徳があると思うのです。 ある研究者がお経を唱えている人の脳波を調べ、果たして人間にどういう影響を与えるのか研究したことがあるという話を聞いたことがあります。 一方は、経典を広げ、字を目で追い、お経の意味や内容などを考えながらお唱えするのです。 もう一方は、ただ無心にお唱えするだけです。 この実験におけるサンプル数は定かではありませんが、相当数の実験が重ねられたそうです。 その結果、お経の意味や内容などを考えながらお唱えする方より、ただ無心にお唱えするだけの方がはるかにアルフ...
Published 07/18/24
この地方では四十九日満中陰の法事の際、四十九個の小餅と鏡餅のような丸い餅一枚でつくった「笠餅(かさもち)」とよばれるものを、弘法大師のご修行姿に似せた人型に切る風習があります。四十九個は人間の骨の数、鏡餅は骨を覆う皮と肉と言い伝えられていて、亡きがら全てを埋葬する土葬習慣のあったところでは、分骨や忌み分けの意味を持っているのです。そして、この笠餅のなかの鏡餅を、杖をもち笠をかぶった弘法大師の修行姿に切り分けます。体の部分を持ち帰って食べると、その箇所の病が治るのだと信じられているのです。足が悪い人は足を、手が悪い人は手をもって帰るということになるのですが、現世利益とはいいながら、まことに信じがたいお話です。 実を言うと、私は一度もこれを切ったことがありません。というのも、もし足の悪い人ばかりお参りに来たら、どうするのでしょう。お大師さんの足は二本だけなのです。親戚同士で取り合いになったり、自分がほしかったのに誰かさんに持って行かれたなどといやな思いをすることになるとしたら、法事に来て故人の冥福を祈り、しばらくは心穏やかに過ごすことができると思っている人にとっては、それは本末転倒...
Published 07/11/24
仏事は荘厳(しょうごん)が大切です。荘厳というのはお飾りのことです。仏壇のお祀りの仕方などはよく聞かれることですが、なかでも多いのは、荘厳について置き場所などです。 本来、仏壇にはご本尊が安置されますが、荘厳はこのご本尊のためのものでもあります。真言宗の仏壇は、どちらかといえば質素で控えめなものが多くあまり派手ではありません。 仏壇本体の材質は紫檀や黒檀などが中心で、ケヤキや桜など多種に及びます。最近では圧縮材や合成材なども使われることも多く値段もかなりの差があるようです。仏壇のなかには上部に須弥壇(しゅみだん)というご本尊の置き場所があります。 ここには真言宗のご本尊大日如来を中心にして、向かって右に弘法大師、向かって左に不動明王が置かれます。これはそれぞれのお姿を描いた掛け軸だけの場合もあります。 須弥壇の前には幡(ばん)という布で作った幡(はた)や瓔珞(ようらく)とよばれる飾り金具や電球入りの灯籠などが仏壇の天井からつり下げられます。須弥壇の足下には高杯(こうはい:たかつきのこと)が左右一対置かれ、果物やお菓子などが供えられます。 下の段にいくと、お仏飯やお茶湯を...
Published 07/04/24
仏事に関しては各宗派に違いがあります。 さらには同じ宗派でも地域によっても違いがあります。 これは仏事がそれぞれの地域の特色や歴代の住職の考え方などが大きく影響し、文化の一部として慣習化したものが少なくないからでしょう。 たとえば同じ宗派であっても、かつては土葬と火葬が共存していたため、それぞれの葬送の仕方を受け入れないところがありました。 土葬埋葬は亡きがらを捨てるようで、しかもその上に重い土をかけるのがかわいそうだといい、一方は火葬は熱そうだからいやだといいます。 また、葬式を済ませて中陰の間は仏壇を閉じるところと、開けたままにしておくところがあります。 当田舎寺では仏壇を閉めないようにお話ししています。 しかし親類縁者から閉めるようにいわれることが多いのか、この件についてはよく聞かれることでもあります。 仏壇は本来ご本尊を安置するものです。 ですからご本尊の安置されていない仏壇はあくまでもご先祖の位牌置き場ということになります。 もともと仏壇を家に置くようになったのは、ご先祖供養のためわざわざお寺へ行かなくてもいいように、いわばミニお寺を家の中に置く感覚...
Published 06/27/24
法事とは亡き人のご供養をすることです。 葬式のあと初七日から満中陰までの七回と、百日忌、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、五十回忌とあります。 すべてを勤めるとして五十回忌まで20回の法事をすることになります(二十五回忌、四十三回忌、四十七回忌を加えて23回とするところもあります)。 明治初めころまで庶民は字が読めずお経をあげることができなかったため、その都度、お寺の本堂で僧侶にお経をあげてもらっていました。追善供養したいという風習により、やがて各家に仏壇が祀られるようになって自宅で法事をするようになったのでしょう。 仏壇の前で法事を勤めることもありますが、この辺りの田舎ではほとんど仏壇から位牌を取り出します。そして床の間にあらたに座敷机などで祭壇をもうけて法事をします。 祭壇の上には正面に位牌を置き、花瓶、線香立て、花立て、ロウソク立てなどを並べます。果物やお菓子、季節の花や故人の好物だった品々もたくさん供えられます。 法事とは本来、亡くなって自らお経をあげることができなくなったご先祖さまに代わって僧侶を招き...
Published 06/20/24