田舎坊主の七転八倒<供養は食うよう>
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Description
新彊ウイグル自治区が外国人に開放されてまもなく、中国西域シルクロードを旅行したときのことです。 タクラマカン砂漠のもっとも西方のカシュガルという町のはずれにあるイスラムのお墓に案内してもらいました。そこでまず目に入ってきたのは、背の高い木の棒の先に干からびた毛皮のような物が突き刺さっている、よくわからないものです。 私は通訳を通して、「これは何ですか?」と聞くと、「ここの墓に埋葬された人が、羊のおかげで今まで生きてこられてたので、これはその供養のために立ててあるのです」と教えてくれました。 そういえば、シルクロードに入ってから、いたるところで羊の群れに出会いました。オアシス以外、緑は決して豊かではないのに、羊が多いということは、羊が如何にたくましく人間と共存しているかがわかります。 羊は「歩く食料」であることはいうまでもなく、しかも年間雨量60ミリ、年間蒸発量3000ミリと言われる大乾燥大地のシルクロードでは、気温が下がる夜に羊の毛はなくてはならない衣料となり、昼間も人間を乾燥から守る大切な服にもなるのです。 また、羊の肉を食したあとの皮はほとんどが「ふいご」となり、カシュガルでは欠かすことのできない火起こし道具となっています。これがナイフや包丁などの鍛冶屋産業を生み支えているのです。 さらに羊の皮に空気を入れてふくらませたものは、羊皮(ヤンピー)船となって中国大黄河の橋のないところでは水上運送船として、人や物を運ぶのになくてはならない重要な役割を果たしています。 そういえば、昔は「羊」ヘンに「食」と書いていた「羊食」、今では「羊」がカンムリになった供養の「養(やしなう)」という字は、「羊を食べること」が養うことを意味していたのです。 旅行中、古老が、「羊は大地に吹き出した塩分と、わずかな草木の芽などを食べて生きられるのです。しかも多産で安産なのです。」とも教えてくれました。 胎児は羊水と羊膜に守られて、母の胎内で最高の栄養を与えられ、月満ちて出産となります。なぜ胎児の生命を育む体内臓器に「羊」の字が使われたのかはわかりませんが、シルクロードにおいては、古老のいうように羊は安産であり多産であること、そして羊の命を頂いて人間の生命は支えられてきたことが、決して無縁ではないように思うのです。 そしてシルクロードなどの羊文化圏では、人の年齢は「数え」でとらえられています。これは出産前の羊水・羊膜に守られた胎児の期間を加え、赤ちゃんが姿を現さないときから命と数えていたのでしょう。ちなみに、日本では今でも位牌に刻まれる亡くなった人の年齢や厄年の数え方に「数え」は残っていますが、つい最近まで「数え」の年齢をいう老人がいたものです。 * ウルムチのバザールでは羊の頭と腸を大きな鍋で煮込んだものがありました。この羊の煮物こそ「羊羹」だったのです。「羹」という字は「羊」を「火」で煮て、しかもその「羊」は「大」なるものという合成文字からできています。「羹」は、「あつもの」と読み、煮炊きしたもののことです。 私は七年間、高野山の宿坊で小坊主時代を過ごしましたが、その宿坊での精進料理の中に「旬羹(しゅんかん)」とよばれるものがありました。文字どおり季節
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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
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Published 11/14/24