田舎坊主の七転八倒<細工をしないで>
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坊主はお布施で生活しています。 正確にいうと、私の場合、お布施という資金を宗教法人不動寺という会社が布施収入としてプールし、その会社から人件費として坊主に支払われます。もちろん収入が人件費を上回っていれば問題はないのですが、ときどき毎月の人件費支払額に満たない場合もあります。法人の貯えが相当あれば当然それでまかなわれることになるのですが、なかなかそううまくはいかないのが現実なのです。それでも毎月、源泉徴収をし、12月末には年末調整をし、税務署や役所に報告しなければなりません。 つまり実際には決めた月給の半分もいただいてない、というかお布施が少なくて払えないときでも、決めた額で記帳し申告するのです。 また、本来ならボーナスもいただきたいところですが、いまだかつていただいたことがありません。これはまさに零細企業そのものです。 檀家さんでも私たち坊主が月給取りで、源泉徴収事務をし、年末調整のうえ税務署などに申告していることを知っている人はほとんどいません。「坊主丸もうけ」と思っているのです。 本来、古来インドや上座部仏教の地域では僧侶は生産活動をしないため、庶民や信者などから直接食べ物やお金を布施としていただいて命の糧としていたのです。 布施をする人にとってみれば、人々の幸せを祈り、豊作を祈願し、そのために日々修行してくれる僧侶に、食べ物や金銭を施すことはなによりの功徳であり、供養であると考えていたのでしょう。 庶民は土に種をまき、作物を収穫し、その作物やそれを売ったお金を僧侶に布施するのです。僧侶は布施をもとに生命をたもち、修行して得られた智恵や祈りの種を庶民の心にまくのです。布施という行為は、お互いに提供しあうのであって、決して一方的に与えたり与えられたりするものではないのです。 布施という言葉はサンスクリット語の「ダーナdâna」が語源といわれています。「ダーナ」とは、「提供する」とか「喜んで捨てる」という意味があります。「ダーナ」は中国から日本に伝わるとき「檀那」と漢訳されました。ですから、布施する家は「檀家」となり、布施される寺が「檀那寺」となるのです。「うちの旦那さん」の旦那もおなじく「檀那」で、家族にお金やものを提供する人という意味があります。 「ダーナ」が英語圏に伝わって「ドナーdonor」となります。移植医療では臓器などを提供する人のことを「ドナー」とよぶのはよく知られたことです。もちろん「ダーナ」が語源なのですから、提供するかぎり喜んで捨てるこころが大切なのはいうまでもありません。 ちなみに2002年4月、衆議院議員の河野太郎氏がドナーとなり元衆議院議員の父河野洋平氏が「生体肝移植手術」を受けたことを覚えている方も多いことと思いますが、この手術で息子さんの肝臓の一部を提供された河野洋平氏はいまも元気で活躍されています。この「生体肝移植手術」という方法が日本ではじめて実施されたとき私ははじめてドナーという言葉を知りました。 それは1989年11月に島根医大で日本初、世界で四例目という「生体肝移植手術」が行われたときのことです。 このときの患者は、胆道閉鎖症という病気で余命いくばくもなく肝臓移植しか救われるすべのないYちゃんという小さな子ども
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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
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Published 11/14/24