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2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。
テレビの情報番組が特別番組に切り替わり、東北地方で発生した大地震による未曾有の大津波を生中継する画面に私は釘付けになりました。
みるみるうちに濁流が滑走路に進入し、車も飛行機も押し流され、空港ターミナルが浸水していく仙台空港をテレビは映しだしていました。その瞬間、胆道閉鎖症という難病のわが子を助けたいとの一心で、昭和六十年はじめて飛行機に乗って降り立ったのが仙台空港だったという記憶が私の頭をよぎりました。
一年半入院し、お世話になった仙台のため、東北のために、何かしなければという思いが沸々とわき上がってきたのです。
地震発生から4日目の3月15日、私は銀行からほとんど全財産といえる1000万円をおろし、その足で地元の紀の川市に「大震災で困っている方に使って下さい」と寄付を申し出ました。
このとき、紀の川市ではまだ募金の窓口はできていなかったので保留となり、その後、市長さんから「紀の川市の名前でいろいろな方からの募金として合算して報告するにはあまりにも高額なので、あなたの名前で日本赤十字和歌山支部に持っていってもいいですか?」と電話があり、すべてをお任せすることにしました。
それからというもの、テレビでは連日、すべてのメディアが大震災の報道に切り替わりました。
それは大地震と巨大津波が東北の人たちから全てを根こそぎ奪っていったことを伝えていました。
家であり仕事でありふるさとであり家族であり、今まで努力の成果として得てきたもの全てをです。
命からがら助かった人は文字どおり「着の身着のまま」で、残ったのは命だけという人がほとんどでした。
しかし、まさに絶望の淵になんとか踏みとどまった人たちの口から出る言葉は「命があっただけで、しあわせです」という言葉です。
さらに避難所で家族が見つかった時、「生きててよかった。それだけで充分です」という人もいました。
たった一杯の温かい飲み物や食べ物が差し入れられれば「本当にありがたいです」と話しているのです。
そして「まだ見つからない人も多いなかで、これ以上のことは贅沢です」とも話されるのです。
避難所などにいる被災者から聞こえてくるのは「感謝です」「ありがたいです」という言葉であふれているのです。
ある避難所のなかにいた中学一年生くらいの女の子が「今までどれだけしあわせだったか、はじめて気がつきました」と話していたことが、私の脳裏から離れないのです。
私はそれから後の法事の際には、「毎日のお味噌汁に文句を言ってませんか?」「温かいご飯に感謝しているでしょうか?」「今がどんなに幸せか、感じていますか?」などの話をし、手づくりの募金箱をまわしながら法事に集まった皆さんに募金を呼びかけるようにしたのです。
私が個人的に寄付したことを新聞などで知っている方も多かったため、多くの方は快く募金してくださいました。
なかには何回も募金箱に寄付して下さる方もあり、感謝の気持ちでいっぱいになることも・・・・。
そして小さな子どもさんまでもが、にぎりしめた50円玉、100円玉を募金箱に入れようとしてくれるとき、私が「お菓子を買えなくなるよ」と話しても、「いいよ」と言って募金してくれる姿