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いまお寺では後継者不足が深刻な問題となっています。
その主な理由は、子どもが親の働く姿を見ていて継ぎたいと思えるような仕事ではないこと。現金収入とはいいながら子どもを育て独り立ちさせるまでの教育費などを考えると、安定した十分な生活資金が入ってくるとは考えられないこと、などがあげられます。もっと具体的に言えば、急激な檀家の減少、直葬や家族葬とよばれるようなお葬式の小規模化、宗派本山への負担金の高騰、法衣などの新調費や寺の維持管理費、嫁さんの来手がない、などです。
一方では住職の生活さえままならない田舎の檀家寺があります。他方では裕福な観光寺や信者寺などが数多くあります。
いまの日本は格差社会が広がっているともいわれていますが、私ども坊主業界もかなり格差がはげしいのではないかとも思っています。そんな田舎寺なのに「坊主丸もうけ」と思われているのですから、やはり現実とかけ離れた生活を強いられる寺の跡継ぎが好まれないのは当然なのかもしれません。
お寺の跡継ぎがいないということは、あるときにはきびしい現実を目にすることがあります。お寺には「結集」とよばれる互助組織があり、これは住職が病気になったときなどには他のお寺の僧侶がお互いに法事やお葬式などで手伝い合う組織であります。もちろん病気などにならなくてもお葬式の職衆(しきしゅう:導師以外の役僧)などには招かれることがあり、招かれたら次はこちらが職衆としてお願いをします。収入の少ない田舎寺ではこれがご互いに経済的にも助け合う仕組みになっているのです。
私が27歳ころのことですが、紀ノ川をはさんだ山の懐に、いつも職衆として呼ばれていた小さなお寺がありました。そのお寺は老僧が一人で寺を護っていました。奥さまを早くに亡くし、寺の跡取りと考えていた息子は町に出て所帯をもち、むしろ息子の方から縁を切るような形で出ていってしまったそうです。
お寺はほとんどの場合、住職が高齢になると後継者を自分で準備するのですが、息子以外でお願いするとなると、生活のことをまず考えなければなりません。しかし生活を保障できるだけの収入もなく、ましてや檀家もそこまで熱心に考えてくれる人もあまりいないのが実情でもあります。
老僧の年齢はその時80歳を超えていましたが、田舎では住職がいくつになっても必要な存在です。檀家総代が集まって後住(ごじゅう:次の住職)としてお寺に来てくれる人を探すなどしたものの、年に数回しかないお葬式とそれに付随する法事、お盆の棚経だけの収入ではなかなか来てくれる人は見つかりません。お葬式に職衆として行くと老僧は足も悪くなり、なんとか座敷では歩けるものの、田んぼのあぜ道などを行く野辺の送りの葬列は難しく、導師である老僧は、セメントなどを運ぶ工事用の一輪車に乗せられていました。
必要とはいえそこまでして坊主は働かなければならないのかと。同行していて哀れというか、悲しくさえなった思い出があります。
私自身、娘が2人で、しかし下の娘を早くに亡くしたため、1人娘になりました。その娘は大学を出てから介護ヘルパーとして働きだしたので、やがて私が年老いたら寺を継ぐものがなくなるのは目に見えていました。私の脳裏には一輪車に