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法事で「仏前勤行次第」を差し上げるようになってからしばらくしてのことです。
ある檀家さんから、「お経のリズムや息を継ぐ場所がわからんので、テープに録音したのがほしいんだが・・・・」と言われました。
お経は確かにリズムや区切る場所など決められたものもありますが、ほとんどの場合あまり気にせず自分の唱えやすいように唱えればいいと私は思っています。
なかには耳なれたフレーズがお経の唱えやすさ、覚えやすさにつながっている場合もあります。
それはそれでとてもいいことで、意味や内容を考慮しなくても充分功徳があると思うのです。
ある研究者がお経を唱えている人の脳波を調べ、果たして人間にどういう影響を与えるのか研究したことがあるという話を聞いたことがあります。
一方は、経典を広げ、字を目で追い、お経の意味や内容などを考えながらお唱えするのです。
もう一方は、ただ無心にお唱えするだけです。
この実験におけるサンプル数は定かではありませんが、相当数の実験が重ねられたそうです。
その結果、お経の意味や内容などを考えながらお唱えする方より、ただ無心にお唱えするだけの方がはるかにアルファー波が高く出現するのだそうです。
言いかえれば、何も知らないで唱えている方がリラックス効果が高く、心の平安が保たれているということでした。
お経の意味や内容などを考えるということは、ある種の雑念で満たされているということなのでしょうか。
もちろん意味を理解しお経の意義を考えることは重要なことでしょう。
さらにはそのことをわかったうえで無心にお唱えすることができれば、もちろんそれに越したことはありません。
さて、仏前勤行次第だけでは唱え方が分からないと、お経を吹き込んだ録音テープがほしいという檀家さんですが、テープを差し上げてしばらくたっても一向に上手くなりません。
それもそのはずです。カセットレコーダーを仏壇の前に置いてテープをエンドレスでかけたまま、ご自分は農作業に出て行かれるんですから・・・。上手くなるはずがないです、それでは・・・。
こんなこともありました。
ある共同墓地にお参りをしたときのことです。
ある地区の町内会の人たちが、一つの墓を中心にして、お経をあげていました。
この地区では、法事をする当家が町内会に粗供養として、金一封を寄付する習慣があるのですが、そのお返しとして、町内会の人たちがお墓参りをしていたのです。
私は他の家の墓参りを終えたあと、少し立ち止まってその人たちがあげるお経の声を聞いていると、とても低い声で、ゆっくりと唱えているのです。よく見ると、みんなが囲んでいる墓石の上にはカセットレコーダーが置かれ、私が吹き込んだと思われるテープの声にあわせて唱えていたのです。
おつとめが終わったあと、みんなに、「えらい、ゆっくりお唱えしてたねぇ」というと、そのテープの持ち主と思われる人が返答しました。
「うん、電池がきれかけてんねん」
お経の録音テープもたくさんの方に差し上げてきましたが、こんな使い方ははじめてでした。
もちろんしっかりテープを聴いて、お経に慣れて上手に唱えられる方もいます。おかげで最近では法事のときにご一緒にお唱えしても、坊主よりも上手に、