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2010年の12月クリスマスのころ、ある児童施設にランドセルが送られ、「伊達直人からの善意の贈り物」としてメディアに大きく取り上げられた。
その後、全国各地で次々と同様の施設に贈りものが届くようになり、
「日本人も捨てたものじゃない」
「新たな寄付の形態が現れた」
など、巷間喧しく論じられるようになった。
「伊達直人」名で届けられた贈りものは、2011年1月には物品や金銭を含め47都道府県すべてに同様の寄付が寄せられたそうだ。
メディアはこれを「タイガーマスク現象」と名付けた。
最近、駅前や繁華街などで街頭募金が行われているのをよく見かけるようになったが、それでも日本の寄付文化はあまり成熟しているとは言えないだろう。
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私は毎年1回、JR和歌山駅前で署名と募金活動をおこなっている。もう20年以上になるが、気持ちよく署名や募金をしてくれる方々のすがたに、いつも感謝の気持ちでいっぱいになる。
なかでも若い学生や子どもたちがなけなしのお小遣いから寄付してくれるすがたにはほんとうに頭が下がるのだ。しかもその際、「がんばって下さい」と言葉をかけてくれるのには、いつも胸が熱くなる。
私が経験するかぎり、募金や署名に協力してくれるのは、概して若者が多い。むしろ大人というか中年の人は、いかにも“私はいま忙しいの”といわんばかりに無視していく人が多いのも事実だ。
なかには無視するのではなく、「この募金はどのように使われるのですか?」と、その使い道を確認した上で募金する、堅実型の人も増えてきた。
いずれにしても、募金することを恥ずかしがっている人は確かに多いように思う。この日本人らしさともいうべき謙虚さが財政基盤の弱い難病患者団体などの募金活動において充分な資金を得られない理由でもある。
アメリカなどでは政治にしても慈善事業にしても個人・団体にかかわらず、日本とは比べものにならないほど日常化しているという。寄付をすることが「照れくさい」「恥ずかしい」「いい格好をしているように思われないだろうか」など、日本人独特の文化ともいうべきものが、寄付文化の成熟を阻んでいるように思うのだ。
しかし「タイガーマスク現象」が報道されて以来、多くの人が「この方法だったら自分にもなにかできるのではないか」「この現象に便乗して恵まれない人たちのために何か役に立ちたい」と、実際に行動を起こした人が多く出現したのではないだろうか。
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この「タイガーマスク現象」華やかなりしころ、1月15日に私の住む和歌山県紀の川市に、「難病患者のために使って下さい」
と100万円が寄付されたのだ。この時の寄付者の名前は「華岡青洲」だった。
添えられた手紙には、「同封のお金を難病患者の会へきふして下さい。ある病院で『田舎坊主の愛別離苦』をよんで私の人生と重なり共感しました。難病の方の役に立てて下さい。華岡青洲」と書かれていた。
市の方は早速、私が事務局長をつとめるめる「紀の川市難病患者家族会きほく」に届けて下さった。
華岡青洲は、アメリカ人モントルのエーテル麻酔の成功からさかのぼること42年、1804年世界ではじめて全身麻酔薬「通仙散」による乳ガン摘出手術を成功させた「医聖」とよばれる人で、私の寺から1㎞ほど北に