田舎坊主の求不得苦<大災害の記憶>
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私が1951年に生を受けてから、60歳の還暦になるまで、日本は幾多の自然災害に見舞われてきた。 私が記憶しているものだけでも、次のようなものがある。 1983年、日本海中部地震(秋田,青森)、 1990年、雲仙岳噴火(長崎)、 1993年、北海道南西沖地震(北海道)、 1995年、阪神・淡路大震災(兵庫)、 2008年、岩手・宮城内陸地震(東北)。 そして2011年3月11日に東日本大震災が発生した。 大地震と巨大津波はそれら全てを根こそぎ奪ってしまった。努力の末、得てきたもの全てを、です。 家を流され、職場を流され、生活の道具を流され、ふるさとを流され、家族を流され、すべてが無に帰した。 助かった人は文字どおり「命からがら着の身着のまま」で、残ったのは命だけという人がほとんどなのだ。 大震災の前日、新築に引っ越したという若いご夫婦が、コンクリートの基礎だけ残ったその場所を指さしながら、 「ここが両親の部屋だった」と、泣き崩れながらも、「家族がたすかっただけでもありがたい」と、話していたのが印象的だった。 この大震災において奇跡的に助かった人たちの話には枚挙に暇がない。と同時に自然の驚異にただただ驚愕するばかりだ。 しかし絶望の淵になんとか踏みとどまった人たちの口から出る言葉は、 「命があっただけで、しあわせです」と。さらに避難所で家族が見つかった時、「生きててよかった。それだけで充分です」 という人もいた。 たった1杯の温かい飲み物や食べ物が差し入れられれば、「本当にありがたいです」と話す。そして、「まだ見つからない人も多いなかで、これ以上のことは贅沢です」とも話されるのだ。 当初、避難所などにいる被災者から聞こえてくるのは「感謝です」「ありがたいです」という言葉であふれていた。 ある避難所のなかにいた中学1年生くらいの女の子が「今までどれだけしあわせだったか、はじめて気がつきました」と話していたことが、私の脳裏から離れなかった。 ひるがえって、大震災を経験しない私は毎日温かいご飯やお味噌汁をいただいている。 はたしてその温かいご飯やお味噌汁に「ああ、ありがたい」と深い感謝でいただいているだろうか。大きなおかげを感じているだろうか。 そしていま「あたりまえ」の生活が、どれだけ幸せなことかと感じているだろうか。 「あたりまえ」という環境ほど人間の心を麻痺させてしまうものはないように思うのだ。 そしてまた大きな地震が発生しました。能登半島地震です。 合掌
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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
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Published 11/14/24