田舎坊主の求不得苦<人生最大の布施>
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特別養護老健施設でヘルパーとして働いていた娘が2003年1月、突然「私、高野山尼僧学院に行く」といって剃髪得度した。 本人にとっては突然ではなかったのかも知れないが、娘一人しかいない私にとってこの寺は私の代で最後と、腹をくくっていたのでほんとうに驚いた。 娘は得度に先立って剃髪をしたのだが、案外「つるつる頭」に落胆はしていないようすだった。そのことがかえって私の胸を熱くした。 しかし高野山での一年間がほんとうにつらかったであろうことは、面会に行ったとき、しもやけで両手両足両耳がまっ赤に腫れているのをみて容易に想像できた。 一年間の尼僧修行すべて卒業成満し、2004年から自坊での日行や法事などを手助けしてくれるようになった。 その娘は配管職人の在家に嫁ぎながらも寺の手伝いを続けていたが、ありがたいことにやがて娘の旦那さんも出家という重い決断をしてくれたのだ。 自坊不動寺は私の代で縁者が住職を務めることはないと思っていたのが、今は二人も副住職ができたことになる。 しかも寺の近くに新居を構えてくれるというのだから、これはもうありがたいの一言に尽きるのだ。 そこで、田舎坊主としてやっと貯まった貯金のほとんど1000万円を新築の援助として足してやることを宣言したのだ。 2011年2月のことだった。 というのもちょうど新築資金として親から1000万円援助しても贈与税がかからないという特例が認められていたからである。 ありがたいのであればやはりお金でその気持ちを表さないと・・・。 その翌月、3月11日に東日本大震災が発生したのだ。 テレビの午後の情報番組を見ていたとき、突然、「いまスタジオが揺れています。地震です。」 その後、各地の震度がテロップに表示され東北地方で大きな地震が発生したことを伝え、特別番組に切り替わった。 テレビは未曾有の大津波を生中継した。 それは身震いのするほど恐ろしい光景が映し出されていたのだ。 津波は防波堤を乗り越え、車が流され、家が流され、大木がなぎ倒され、田畑をのみ込んでいる。 まるで映画の「日本沈没」や「デイ・アフター・ツモロー」と重なり、単なる映像としてみている自分が、 「あの車は水が入ってしまったからもうだめかなあ」「あの家の家具はどうなるのだろう」などと、最初は的外れな心配しか思いつかなかった。 しかしふと現実に戻れば、未だ経験したことのない大災害が目の前で起こっていたのだ。 テレビ画面は仙台空港を撮しだしていた。 みるみるうちに濁流が滑走路に進入し車も飛行機までもが押し流され、空港ターミナルが浸水している。 この瞬間、わが子を助けたいとの一心で、はじめて飛行機に乗って降り立ったのが仙台だった、という記憶が私の頭をよぎった。 そして、1年半入院してお世話になった東北のために、仙台のために何かしなければという思いが沸々とわき上がってきたのだ。 翌日の3月12日、子どもたちの新築に足してやりたいと思っていた1000万円を寄付する決心をした。 早速、妻や子どもたちにこのことを話すと、皆快く承諾してくれた。 私の心は有難いと思う気持とすまない気持ちが交錯していた。 休み明け3月15日、銀行から1000万円をおろし、その手で地元の紀の川市に「大震災で困
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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
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Published 11/14/24