田舎坊主の求不得苦<副住職が慰霊護摩を焚く>
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田舎坊主の寺、不動寺が建立されたのは、慶長六年(1601年)開山と伝えられている。 1700年頃に本堂が焼失し、その後、宝永三年(1706年)、現在の本堂が再建された。この年は、西国霊場で有名な粉河寺の山門が建立される前年のことになる。 不動寺はその名の通り本尊は不動明王だ。 正式本尊名は「大日大聖不動明王」といい、真言宗の本尊である「大日如来」の化身といわれていて、続日本書記には高名な仏師「小野篁(おののたかむら)作」と記されている。 本来、不動明王を本尊とする本堂の内陣には「護摩壇」が据えられていて、もちろん不動寺にもあるのだが、残念ながら護摩を焚くことができなかった。 というのは、今から約70年前、護摩を焚く鉄製釜が大戦時中に強制的に供出され、現在まで釜のない状態が続いていたのだ。 * 今から35年前、現住職の田舎坊主が副住職に任命された際、護摩焚き法要再開のため、老朽化した護摩壇を修復新調することを願い見積もりをおこなったところ、最低500万円という高額費用がかかることが分かり、総代等に相談するも断念を余儀なくされた経緯があったのだ。 ところが幸い、娘の旦那さん和道師が副住職に就いたことを機に、再度見積もりしてもらったところ修復技術も進化し、老朽化した護摩壇はほとんど新品同様になるという。 しかも35年前の見積額のほぼ半額で修復できることがわかり、70年ぶりに護摩壇が修復されるとともに護摩釜が据えられるようになった。 ちなみに今回の修復で分かったことだが、不動寺の護摩壇は、寛政五年(1793年)、今から219年前、住職宥全師の代に寄進されたことが護摩壇の裏書きの寄進控えから判明した。 平成23年12月22日に護摩壇の修復が完成し、新たに護摩天蓋が新調されるとともに、この際、灯籠などその他の堂内備品も塗り替え修復や花瓶の新調もされ、見違えるほどの護摩堂として完成したのだ。 護摩を焚くには前方便から入壇し、護摩木を炊きあげるまで約2時間を要する長座となる。そのため午前中に前方便に入り、必要な作法を済ませた上で午後の本護摩壇に入壇するのだ。 護摩法要では参詣者に祈願を書き添えた護摩木が導師の読み上げとともに焚きあげられ、開壇、慰霊とともに息災護摩としていとなまれる。 私は修復完成の落慶法要ではどうしても祈願したいことがあった。 それは東日本大災害で被災した御魂(みたま)に対する慰霊と、紀南地方に甚大な被害をもたらした台風12号被災者の慰霊をつとめたかったのだ。 * 平成23年12月28日終い不動の縁日に、東日本大震災及び台風12号被災者慰霊の特大塔婆を奉供(ほうぐ)し、修復完成した護摩壇の開壇をかねた護摩焚き法要が70年ぶりに副住職和道師の行者作法のもと、多くの参詣者が見守るなか厳粛に奉修された。   護摩の炎が上がると同時に護摩壇の周囲に陣取った参詣者は合掌しながら約1時間の間、熱心に般若心経、不動真言を唱え続けた。 護摩法要が終われば、参詣者は護摩釜の周囲に寄り添い、護摩の法煙(いわゆる護摩の灰)を身に浴びて、さらなる息災厄除け、身体健康などを祈願するのだ。 そのあと庫裡では大根炊きのお接待があり、本堂での長座を労い「おいしいね」といいながら、熱々の大根を頬
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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
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Published 11/14/24