田舎坊主の七転八倒<高野山へー親の心子知らずー>
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親の心子知らず 結局、高校、大学と高野山で過ごし僧侶になる修行は済ませたものの、大学卒業後の進路は寺の跡継ぎではありませんでした。 というのも私が高野山大学で専攻したのは当時新設された社会福祉学科だったため、大学としても社会福祉学科第一期生としてできるだけ多くの卒業生を社会福祉関連に就職先を決定させるという目標を掲げていたのです。 そのためいくつかの施設で実習や研修をおこなったうえで、私は大阪のある介護老人保健施設に就職を決めていました。 しかし、当然ながら父親は私の就職を受け入れず、みずからが役場つとめをしながら住職をしていたことから、自分と同じような役場つとめをするか、または坊主をしながら学校の先生になるか、執拗に兼業をすすめてきたため、かえって反抗し続けた私がいました。 このときには、父親が兼業だったからこそ私たち兄弟3人を育て上げ、大学までいかせることができたのだということを考える余裕などまったくありませんでした。 父親に対する反抗心が、“どうせお寺を継ぐのであれば専業でやっていく”という意地のようなものを私に芽生えさせたのです。 しかし現実はきびしいもので、お寺にいても仕事がないのです。 若いのにぶらぶらしているように思われるのがいやで、朝8時から夕方5時まで紀ノ川で魚釣りをして時間をつぶす日が続きました。 そんななか一番心癒やされたのは、共働きの兄夫婦にできた姪っ子の子守でした。 かわいい姪っ子が私を慕ってくれ、子守は日々の唯一の楽しみでもありました。 父親は兼業のため日行参りはいってませんでしたので、私は坊主専業でいくならこれではいけないと、昭和49年、古い過去帳を整理し、お参りカレンダーをつくり日行参りを始めるようにしました。 毎日、檀家さんに「お参りさせてもらってもよろしいでしょうか?」と電話をかけ、少しずつ仕事をつくっていったものの、あるときには、「若いのにあまり仕事がなかったら、体がなまってしまわないかい?」と、皮肉をいわれることも二度や三度ではありませんでした。 檀家さんの目を気にしながらも、ほんとうの空腹を知るために断食道場にいき、帰ってきてからはご詠歌も習い始め、専業坊主めざし五里霧中のなか、私は何かを探すように坊主が手探りで歩き始めたのです。 合掌 --- Send in a voice message: https://podcasters.spotify.com/pod/show/pgsvmgddld/message
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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
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Published 11/14/24