Description
法事には塔婆がつきものです。塔婆、正式には卒塔婆です。
当地ではこの塔婆、亡くなられた方の戒名を書いたものと、施主当家の先祖代々の菩提供養を書いたものの二本が基本的なもので、法事のご先祖が複数霊あればそのぶん塔婆の本数が増えることになります。
塔婆はおうちで読経を済ませたあとみんなで墓参りの際に持参し、墓石の後ろか塔婆立てにさし、故人の供養をするものです。
現在ではこの塔婆、お寺が用意し、法事の依頼があれば前もって書いておいて法事当日に持参するのですが、私が小坊主の頃は、田舎といえども小さな雑貨店があって、そこで当家が必要な本数の塔婆を買い求め、床の間にしつらえられた祭壇の横に墨汁の入った硯とともにその当家が準備していました。
来客が正座し、その衆人環視のなか、法事が始まる前、おもむろに幅7センチ長さ90センチの塔婆を左手で持ち、右手に墨を含ませた筆を持ってサラサラ、サラと格好良く梵字から始まって戒名を書くのですが・・・。
そんなふうにうまくいけばいいのですが、そもそも世間一般には「坊主は字が上手」と間違った(?)常識が流布しているなかで、愚僧は字が汚いことこの上なく、苦手なのです。
しかも法事にひとりでいきはじめてまもなくの頃です。法事のお客さま全員の目が一点筆先に集中するのですから、緊張するのなんのって・・・・。
しかし、ここで逃げることもできないため、取りあえず、祭壇の位牌を見ながらやっとのことで2本の塔婆を書き終えました。
ところが、どうも塔婆の姿がおかしいのです。
立てて祭壇に並べてみると・・・・上下逆なのです。
昭和48年ごろの塔婆は現在のように梵字の部分が五輪塔のような切り込みがなく、上部が緩やかな三角に面取りされ、足下は土中に差し込むために鋭く矢先のように切り込まれています。
それでも本来なら間違うことはないのですが、あまりの緊張にそのときは足もと部分から梵字を書きはじめてしまったようです。
祭壇に立ててすぐ気づいたので、
「申し訳ないです。塔婆を天地逆に書いてしまいました」と話したところ、
「いやあ、べつに分からへんからいいですよ」と、はっきり上下逆と分かるにもかかわらず、施主さんはいやな顔一つせず優しく了解してくれました。
何十年も前の昔のことなのに、そのときのことは今でもはっきり記憶に残っています。
そしてそのとき、人の間違いを、あるときには優しく受け入れ、包み込むことの大切さを学んだように思いますが、いまだに私自身実行できているか大いに疑問に思うこの頃であります。
合掌
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