田舎坊主の七転八倒<飲みすぎました>
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法事などで僧侶に出す食事のことを「斎(とき)」といいます。 平成に変わるまでは、本膳・二の膳が一般的で三の膳がつくところもありました。 このうち三の膳は家で待ってる家族のためのものと聞いたことがありますが、現在ではもっぱら幕の内が主流となっています。 お釈迦さまの時代から僧侶に食事を提供することはとても大きな功徳があるとされてきました。 「斎」について、お盆の行事が始まりとされます。 古来インドでは、4月15日から7月15日の雨期の間、僧侶は外出を禁じられ、合同で室内で修行する安居(あんご)という期間がありました。 その安居が明ければ「僧侶たちに斎を施し、供養しなさい」とすすめられたことが斎を施すはじまりであり、お盆の起源となったとあります。 * また、こんな逸話があります。 お釈迦さまの弟子であるモッガラーナ(目連)が、餓鬼道というつらい地獄の一つに落ちた母を救うため、その方法をお釈迦さまに聞きました。そもそも、モッガラーナ(目連)の母が餓鬼道に落ちた理由は、他を愛することがなかったからです。 子どもであるモッガラーナ(目連)はなによりも大切に、あふれるほどの愛情をもって育ててきたけれど、母は他の子どもや人には目もくれず、それらを大切にし愛する心がなかったため、餓鬼道に落ちたのです。 そのため、他を思う心を持つ実践として、人々の幸せや平安を願う修行をしている僧侶たちに食事を提供することがとても大切なことだとモッガラーナ(目連)はお釈迦さまに諭されたのです。 そしてこのことがお盆の行事である「お施餓鬼」として、自分の先祖や縁故だけをお祀りするのではなく「三界萬霊抜苦与楽」と書かれた、自分と縁のない仏さまにも水を手向けるお盆の習慣ができたのでしょう。 * また、お寺の護寺運営の費用としてほとんどの寺院が檀家さんから「斎米(ときまい)」と称する志納金をいただいています。 昔は春と秋に麦や米などでお寺に納められていましたが、今ではほとんどお金で納められます。 お寺の護持運営といいながら、かつては専業坊主では食べていけなかったため、これが基本給みたいなもので、坊主の食いぶちだったようです。 ちなみに私の田舎寺では現在、年間2500円の斎米料をいただいていますが、光熱費や本堂のお供え物、修繕費などまさに護寺管理費に消えてしまいます。いじましい話しですが、当時の斎米料は1000円だったため、法事での斎には助けられたものです。 * 今ではこの田舎でも専業農家は少なくなり、法事に集まる人は勤め人が多く、法事も土・日曜日や休日で、平日に法事をおこなう家はほとんどありません。そのため休日に法事が重なり、どうしても食事に同席することができなくなり、お布施とは別にお膳料を包んでくれる家が多くなりました。 アメリカ向けのミカン栽培が最盛期だった昭和五十年ころは、農家は専業で勤め人も少なく、檀家のほとんどが農家の人たちで、休日平日を問わず法事をしてくれたので必ずと言っていいほど法事のあとの食事、斎をいただくことが多かったのです。 * そんなある日の法事でいつものとおり上座に座り、当家の親戚の人たちと杯を交わしているうち、 「なかなか若はんは、いける口や
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2015年8月に発行した拙書「田舎坊主の七転八倒」の読み聞かせです。 このまとめ編には優しいBGMを重ねました。 紀の川のほとりにある田舎寺の縁側で、住職の四方山話を聞いているつもりで、気楽に聴いていただければなにより幸いです。 合掌
Published 11/21/24
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Published 11/14/24