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池田貴将さんによる吉田松陰の超訳に心震えました
曰く
"他人から馬鹿にされたくない。皆そればかり気にするものです。家がおんぼろだとか、服が時代遅れだとか、ろくなものを食べていないとか。
しかし、人はあやういものです。生きているときは生きていますが、死ぬときは、もう死んでいるわけです。今日はお金があっても、明日は一文無しかもしれませんし、今日は皆から愛されていても、明日は皆の心が離れているかもしれない。
ですから、私が大事だと思うのは、ただ「自分はどう生きたいか」その方針に従って生活することなんです。それが人の道というものじゃないでしょうか?"
ここから私は思いました
1、自分の気持ち以外は、課題の分離
2、パッションの源を見つめる
3、パッションの源と他者との活動のベン図の交わりを創発
アドラーのいうところのコントロール可能なものに集中する意味の、課題の分離ですが、吉田松陰さんの言葉より、それはもはや自分の思い、以外のものは全て、コントロール不能と考えた方がいいのかもしれないなと思いました
そうなると集中すべきは、自分の心の中ということになるので、まずは、自らのパッションの源に目を向けるのだ、ということになるかなと思いました
それはすなわち、情熱のポートフォリオである、大好き、利他、個性、成長、そんな象限に自分は何を思うのか?それがとても大切であり、それを知ることが、自分はどう生きたいか、の鍵を握ることだと思いました
そして、他人との活動の中で、自らのパッションの源に沿った、どんな生き方をしたいのかるそれを丁寧に創発していくことかなと思いました
それは例えば、自身の情熱と家族とのベン図、職場とのベン図、趣味のアカペラとのベン図、ゴルフ仲間とのベン図、みたいに、自分のパッションの源の円を中心に、無数のベン図ができていて、その交わりを、自分の生き方として創発しておく
そんなことが、多様性に生きる現代の我々には必要なのかもしれないなあと、そんなことを思いました
自分は多数の他人とのベン図の交わりでどう生きたいのかノベーション
そんなことを思いました^ ^
参考: 本:覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 2013年5月10日 初版発行 編訳 池田貴将 発行所 サンクチュアリ出版