サピエンスの揺り籠 第十回「無知の知と未知の征服」 ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』より
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 西暦一〇〇〇年頃のスペインの農夫が、五〇〇年後の同じ土地にタイムスリップしたとしても、見知らぬ人々が営むその生活にカルチャーショックは受けなかったかもしれません。しかし、コロンブスに雇われた水夫がiphone 時代のニューヨークに到達したら、そこは天国か、地獄か、全くの異世界に見えることでしょう。  人類は認知革命や農業革命の前後で、全く異なって見える社会を形成し、人口と財と消費カロリーは飛躍的に拡大しました。しかし、五〇〇年前にユーラシアの西の辺境で始まった革命は、それ以前の革命を圧倒する急速な変化を人類社会に今も与え続けています。科学革命です。  歴史は原因と結果の連鎖ですが、その連鎖は必然的な運命に定められたものとは言えません。そこには常に偶然性が宿り、仏教やキリスト教やイスラム教ではなく、ゾロアスター教やミトラ教やマニ教が三大宗教と呼ばれていた可能性を否定する絶対的な根拠はありません。同様に、科学革命が中国やインド、イスラム社会や中米ではなく、ヨーロッパで起きたことにも絶対的な必然性はありません。この地が、中国やインドやギリシア・ローマの諸学を吸収したイスラム世界や、大西洋を挟んで南北アメリカ大陸に接していたことが、偶然のきっかけとなったのです。  近代科学にはそれ以前の知の体系と全く異なる三つの形式があります。それは、①真理について無知であることを自覚し、②観察したあらゆる現象を数学で示し、③数学化した知をテクノロジーに変換することです。近代以前は、孔子やブッダやキリストやムハンマドなど、いにしえの聖人や預言者が全ての真理を発見したことを前提とし、それを理解するのが学問でした。ところが近代科学は、誰もまだ知らないことを理解するのが学問だと考えたのです。イスラム経由で伝えられた古代ギリシアの諸学は、カトリック教会の神学に批判の目を向けさせ、「どうも教会は真理を知らないらしい」という認識を生みました。それはやがて、「キリスト教自体が真理を知らないらしい」という認識や、「神様ご自身が真理を知らないらしい」という認識にまで至り、人間こそ無限に広がる未知を知りうる唯一の存在だという新たな信仰をヨーロッパに創り出します。  でも、信仰の変化だけで革命にはなりません。新大陸という未知の世界を発見すると、空白の地図を埋めるように植民地獲得を続ける帝国が生まれます。そして、帝国が科学に投資をしてテクノロジーを獲得、その力で征服事業を進めて財を成し、更に研究に投資をするという循環が成立します。科学と帝国主義のコラボレーション、それが科学革命だったのです。
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Published 08/14/23
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Published 08/14/23
Published 08/14/23