サピエンスの揺り籠 第十二回「揺籠の幸福」 ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』より
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 人類の歴史は、その幸福にどんな意味を持っているのでしょうか。農業革命は大量の余剰食糧を生み、人口増加と文明化をもたらしました。しかし、人々は農耕可能な限られた土地に縛られ、穀物に依存して栄養状態は偏り、厳しい身分制や国家による戦争と殺戮を受け入れなければならず、狩猟採集時代の行動の自由や多彩な栄養を得る機会は失われました。  近代科学革命と資本主義により、人類の富は指数関数的に増大し、小児死亡率と平均寿命も改善しました。しかし、環境破壊で大量の生物種が絶滅し、交通事故による死、経済不況や社会関係による自殺、帝国主義戦争による大虐殺を引き起こしました。現代は比較的紛争が少ないですが、それも核の恐怖による平和です。  幸福についての研究は、富が拡大すれば一定水準までは確かに幸福度が上がると報告しています。しかし、貧困家庭が宝くじで一千万円を獲得するのと、億万長者が株取引で一億円得るのとでは、前者の方が喜びは大きいでしょう。一定水準を越えた富は幸福に影響を与えません。  生化学者は、人の主観的な快を決めるのは富や社会的関係ではなく、セロトニンやドーパミン、オキシトシンなどの生化学物質が血液や神経で働く複雑なシステムであると言います。快感は人によって一定の水準が決まっており、一~十の段階があるとしたら、ある人は六~十の間で揺れ動きながらレベル八で落ち着き、ある人は三~七の間で変動してレベル五に落ち着くそうです。生化学物質が安定レベルより上に快を引き上げれば幸福を感じ、下げれば不幸を感じますが、その上限下限は決まっているわけです。 生化学に対し、経済学者ダニエル・カーネマンは、生活や人生に意義を感じられるかどうかで幸福は決まると言います。子育ては種々の不快を親にもたらしますが、多くの親は子供こそ幸福の源泉だと感じます。哲学者ニーチェは、再び繰り返したいと思えるような意義ある人生を生きるべきだと言いました。  人類は認知革命後、貨幣などの諸制度や、倫理と価値を生む諸信仰を創造し、そうした共同主観的現実=虚構の中で子を産み、育て、死んできました。その社会は、大宇宙と大自然の脅威の中に浮かぶサピエンスの巨大で繊細な揺り籠のようなものです。その小さな揺り籠の中で人類は今後も飽くことなく快感や意義を求め続けることでしょう。現代の科学は、遺伝子操作やサイボーグ工学によってAIと脳の接続や不老不死まで目指し、人類を神の高みへと上げつつあります。  そんな欲求の先に人類の幸福があるのか、別の幸福もあるのか、私たちは汝自身を知る必要がありそうです。
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Published 08/14/23
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