Description
事業家であり、パラリンピックのスキー滑降金メダリストでもあるマイク・メイは、3歳で角膜が傷つき失明しながら、視覚を使うことなくスポーツでも事業でも超一級の結果を出していました。その彼が角膜手術を受けて、約40年を経て再び光を取り戻した時に見たものは、目の前に広がるただの光の大洪水に過ぎませんでした。色も形も無い光のシャワーの中に、ぼんやりとした暗い部分が散在するだけで、彼には物体が何かが分からず、奥行きの概念も分からず、光が戻る前よりもスキーは難しくなりました。
今あなたの目の前に見えている物の色や形や奥行きは、客観的に実在するものではありません。外界にあるのは太陽や電灯から放たれた光の反射だけで、眼球を通して網膜が捉えているのは光の波です。それが電気化学信号に変換され、脳内のニューロン間を駆け巡ることで色や形や奥行きが作られ、感覚として経験されるのです。
人間の脳の三分の一は視覚のために使われていますが、聴覚や臭覚や味覚や触覚にしても同じことは言えます。外界には音も臭いも味も、熱さ冷たさもありません。各器官が、受け取った空気の波・臭いの分子・味の分子・温度・質感を電気化学信号に変換し、その伝達が脳内に感覚経験を生むのです。
感覚経験は努力なしに自然と形成されるものだと思われがちですが、そうではありません。内壁に縦縞の描かれた円筒の中に2匹の子猫を入れ、一方の猫が歩くことで円筒が回転するようにします。もう一匹は中心軸に繋がった吊り篭に乗せられて動かない時、正常に視覚を発達させることができるのは、自ら動く子猫だけです。ヒトの赤ちゃんも運動によるフィードバック無しには見えるようにも聞こえるようにもなりません。車の運転席で運転する者と、ぼんやり助手席に座る者を比べると、前者の方が多くの物を見ています。
左右が反対に見えてしまうプリズムゴーグルを着けると、あるべき所にあるべき物がない世界でヒトの脳は混乱し、吐き気さえ催すようです。ところが、その状態で2週間も生活してみると、左前方に見えているものを違和感なく右手で右前方から取れるようになり、料理さえできるようになります。
画家や写真家は美しい絵や写真を生み出すために、観察力を全開にして風景を見ます。運動神経にとって有意義な情報を生み出そうとする努力が五感を発達させ、脳内に意味を持った感覚を形成するのです。