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接続詞についての本を出したところ、「日本人なら、ほとんど感覚で接続詞は使える」という意見があったんです。確かに、この番組でも日本に生まれ育った人だからことばを知らない人はいないし、文章が書けない人もいない、ということを話したことがあると思うんです。
でも、日本語を使っているからことばも文章も使いこなせるわけではないんですね。じつは、そこに日本語の問題があるんだと思うんです。感覚で覚えたことをことばにできないんです。ことばの言語化とでもいえばいいのか。最近は本を読む人も減ってきたという話ですし、街から書店が消えていく時代でしょ。
先日、ちくま学芸文庫の『高校生のための文章読本』を買ったんです。 1985年に出版されたものが2015年に文庫化されたものです。その中に、一度は読んでおきたい70本の名編があがっているのですが、モーパッサンの『ピエールとジャン』とか、開高健の『夜と霧の爪痕を行く』とかが紹介されているんです。
ここで選ばれた作品は、ことばで表現することの意味を問うことが基準になっているように思ったんです。文章読本といいながら、ことばでどう表現するかという書き方が、問い掛けられているように感じました。結構、大人でも手を出したことがないような本が紹介されているんです。いまどき、こうした本を読む高校生がいるのかなあ、と思ったりもするんです。
感覚で覚えたことばを一回振り返って確認することは、自分を表現する手段にもなると思っています。
たとえば「大学時代にファイナンシャルプランナーの資格を取ったことで、深く考えず金融機関に就職を決めた」という文と、「取ったことで」の「で」と「松下幸之助のことばで『一つに希望をもつか、99に失望するか。失敗か成功かの分かれ目が、こんなところにもある』というのがある」の「ことばで」の「で」の使い方、どうですか?
助詞「で」と「に」には違いがあるんです。「で」は「行為」、「に」は「存在」を表すんです。「食卓でお茶を飲む」は行為です。「食卓にお茶がある」は存在です。そうすると、「資格を取った」は行為なので「取ったことで」でいいのですが、「松下幸之助のことば」は「存在」なので「松下幸之助のことばで」ではなく「松下幸之助のことばに」とした方がいいんです。
さらに言うと、「資格を取ったことで」というより「資格を取得し、それを活かせるだろうと、深く考えずに金融機関に就職した」とした方が、「で」の内容が具体的にわかるでしょ。
学校で助詞の分類は習うと思うのですが、文章のなかでどういう役目を果たしているのかっていうことは、習わないんですよね。だからちょっと乱暴な言い方になるけれど、「感覚でわかる」というのは「わかっていない」と同じ意味なんです。感覚を言語化していくことを心がけて、表現力、説得力を増すようにすると、人生変わりますよ。これ、ほんとです。
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1月17日に『伝わる文章がすぐ書ける 接続詞のコツ』(前田安正著、すばる舎)が発売されます。
また、『注意ワード・ポイントを押さえれば文章は簡単に直せる』(前田安正著、東京堂出版)です。絶賛発売中です。
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