本当に啓かれるために(マルコの福音書7章31節~37節)
Listen now
Description
序)コミュニケーション―皆がうめく悩み ・平和と幸せを生み出していくには、コミュニケーションにおける成長が必要であり、神様とのコミュニケーションから始めることが大切。 ・神の国において聴覚障害は癒される。しかし福音はそれ以上のことを語る。 1)癒しを耳から始める主イエス ・「手を置く」ことを求められたが、イエスは3段階で応えられる。 ・第一段階は「連れ出し」「指を両耳に入れること」であり、連れ出すことで、この人の癒しを「見世物」にすることから守られる。 ・耳を先に癒すことで、コミュニケーションの改善が「聴く」ことから始まることが示される。それは、神、隣人、自分自身へと適用される。 ・聴く力の改善のために、イエス様と一対一の時間をもつことは重要。 2)口を開けるのを待たれる主イエス ・「唾」には、癒しの力があるとは、古代人の常識。人物の力によって癒しの力も左右されると考えられていたので、イエス様の行動は自然。 ・「その舌にさわる」ためには、彼自身が口を開かないといけない。イエス様の働きかけに集中し、これに従順に応えることが癒しを受ける前提にある。彼自身の自発性が問われている。(詩篇 81:10 参照) ・うまくコミュニケーションができない場合、周りが察してくれることがある。それは大人と子どもの関係であればよいが、大人同士の関係としては不健全である。コミュニケーションを取る責任への覚悟なしに、癒しは起こらない。「思いやり」と「察し合い」は違うもの。 ・「耳」は一方的な恵みで癒されるが、「舌」は意志ある応答で癒される。 3)うめいて執成す主イエス ・「深く息をする」とは、言葉にならない心を表現する「うめき」のことであり、イエス様は彼の心を共に担い、父なる神に届けられる。これは私たちの「うめき」のモデルでもある。 ・「エパタ」=アラム語「啓け」の意味。音が記されているのは、魔術(ことばそのものが重要)ではなく祈りであることを伝える。へブル 7章 25 節の天における主イエスの執り成しの姿を垣間見せてくれる。 結)本当の「エパタ」のために ・「エパタ」を説明する「開く」は「ディアノイゴー(啓く)」、耳が「開く」は「アノイゴー(開く)」でズレが生じている。人々は「アノイゴー」を求め、イエス様は「ディアノイゴー(=エパタ)」と祈られた。 ・彼が啓かれるために必要なのは「黙る」ことだった。イエス様の姿を十字架を含めずにわかったつもりになってはいけない。
More Episodes
序)福音への応答に力を集めて~朽ちない冠を共に受けよう~ ・朽ちない冠(第一コリント)=いのちの冠(黙示録)=金の冠=ギリシア世界の陸上競技の勝者のしるし 1)「王冠(ディアデーマ)」ではなく「冠(ステファノス)」 ・黙示録において王冠は、悪魔の象徴である竜がかぶっている。 ・王冠は権力の象徴で、人を従え、富をわが物にし、快楽と好き勝手をするというネガティブな側面を強調している。 ・この王冠を巡って、奪い合いが起こり、その背後に悪魔の暗躍がある。人との比較の中で得られる勝利が「王冠」に象徴されると言ってよい。 ・「冠」は、神の前に与えられたいのちを忠実に走り切る絶対的勝利。 ...
Published 11/17/24
序)黙示録の全体像と教会の個性 ・黙示録は 7 つのブロックでできている。 ・7は聖書的「完全数」と言い、完成、完了、全体、完全を意味する。 ・7つのサンプル教会へあてられた手紙(御使いに書き送れ→御使いによって書き送れ)は、すべての教会に当てはまる内容をもっていると同時に、4...
Published 11/10/24
Published 11/10/24