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序)コミュニケーション―皆がうめく悩み
・平和と幸せを生み出していくには、コミュニケーションにおける成長が必要であり、神様とのコミュニケーションから始めることが大切。
・神の国において聴覚障害は癒される。しかし福音はそれ以上のことを語る。
1)癒しを耳から始める主イエス
・「手を置く」ことを求められたが、イエスは3段階で応えられる。
・第一段階は「連れ出し」「指を両耳に入れること」であり、連れ出すことで、この人の癒しを「見世物」にすることから守られる。
・耳を先に癒すことで、コミュニケーションの改善が「聴く」ことから始まることが示される。それは、神、隣人、自分自身へと適用される。
・聴く力の改善のために、イエス様と一対一の時間をもつことは重要。
2)口を開けるのを待たれる主イエス
・「唾」には、癒しの力があるとは、古代人の常識。人物の力によって癒しの力も左右されると考えられていたので、イエス様の行動は自然。
・「その舌にさわる」ためには、彼自身が口を開かないといけない。イエス様の働きかけに集中し、これに従順に応えることが癒しを受ける前提にある。彼自身の自発性が問われている。(詩篇 81:10 参照)
・うまくコミュニケーションができない場合、周りが察してくれることがある。それは大人と子どもの関係であればよいが、大人同士の関係としては不健全である。コミュニケーションを取る責任への覚悟なしに、癒しは起こらない。「思いやり」と「察し合い」は違うもの。
・「耳」は一方的な恵みで癒されるが、「舌」は意志ある応答で癒される。
3)うめいて執成す主イエス
・「深く息をする」とは、言葉にならない心を表現する「うめき」のことであり、イエス様は彼の心を共に担い、父なる神に届けられる。これは私たちの「うめき」のモデルでもある。
・「エパタ」=アラム語「啓け」の意味。音が記されているのは、魔術(ことばそのものが重要)ではなく祈りであることを伝える。へブル 7章 25 節の天における主イエスの執り成しの姿を垣間見せてくれる。
結)本当の「エパタ」のために
・「エパタ」を説明する「開く」は「ディアノイゴー(啓く)」、耳が「開く」は「アノイゴー(開く)」でズレが生じている。人々は「アノイゴー」を求め、イエス様は「ディアノイゴー(=エパタ)」と祈られた。
・彼が啓かれるために必要なのは「黙る」ことだった。イエス様の姿を十字架を含めずにわかったつもりになってはいけない。