嘆きの壁超えて(エレミヤ書9章1節~26節)
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序)預言者エレミヤの言葉 ・エレミヤの語った言葉は、多くが痛みと悲しみを伴うものだった。 ・「痛い言葉」の中に、確かに生きている神のメッセージが届けられている。 1)欺きのただ中で ・8 章では、イスラエルの民の滅びの宣言がなされ、その民の負う傷を思い、エレミヤも傷つきうなだれていた。9 章はその続きであり、エレミヤの涙の預言が続く。 ・なぜイスラエルの神、主はご自身の民であるイスラエルを滅ぼそうとされるのか。その理由の1つは欺きが満ちていること。 ・「欺き」の内実は、主を知ろうとしないことにあった。民は主を知っているつもりであったが、目に見える強い国に信頼を置いていて、主に信頼することをせず、主に耳を貸さない民となっていた。 2)主の嘆き、民の嘆き ・民の滅びの理由のもう 1 つは、主の律法を捨てたこと。その結果「バアルの神々に従って歩む」ことになった。 ・律法は民を懲らしめるため、縛り付けるための約束事ではなく、祝福を与えるためのものだったのに、民は律法を捨てた。 ・「バアルの神々」に対して「万軍の主」の御名が持ち出される。 ・「泣き女」とは葬儀の場で嘆き悲しむプロの職業人。 ・「よく考えて」との言葉の裏に、主の真実、優しさがある。この状況をプロの力を借りてまで嘆き悲しめと言われる。結果から逃げ出さないで、よく考えよ。目一杯嘆け。 3)主の語り掛け、民の誇り~主を「知る」~ ・エレミヤの言葉は、主の宮の門で語られた。そこには地位ある人も、知恵や富をもった人たちも来ていたが、そこで誇るべきことは「主を知っていること」のみだと語られる。 ・「知る」…ヘブル語「ヤーダー」は、知識として知っているよりも深い言葉で、個人的に人格的に知っている、親密さも含めた言葉。 ・主を知らずにいることは、悪から悪へ突き進ませる。主は「地に恵みと公正と正義を行う者」である。 →私は主を知っているのだろうか?と問いかけ、探られる。 結)「よく考えて、主を知っていることを誇りに」 ・主を知らない生活環境では、欺きや悪事があることは仕方ないこととも言える。傷つき、傷つけられることが繰り返される時、嘆いてよい。 ・主の恵みと公正、正義の一端を担うことへと私たちは招かれている。
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序)福音への応答に力を集めて~朽ちない冠を共に受けよう~ ・朽ちない冠(第一コリント)=いのちの冠(黙示録)=金の冠=ギリシア世界の陸上競技の勝者のしるし 1)「王冠(ディアデーマ)」ではなく「冠(ステファノス)」 ・黙示録において王冠は、悪魔の象徴である竜がかぶっている。 ・王冠は権力の象徴で、人を従え、富をわが物にし、快楽と好き勝手をするというネガティブな側面を強調している。 ・この王冠を巡って、奪い合いが起こり、その背後に悪魔の暗躍がある。人との比較の中で得られる勝利が「王冠」に象徴されると言ってよい。 ・「冠」は、神の前に与えられたいのちを忠実に走り切る絶対的勝利。 ...
Published 11/17/24
序)黙示録の全体像と教会の個性 ・黙示録は 7 つのブロックでできている。 ・7は聖書的「完全数」と言い、完成、完了、全体、完全を意味する。 ・7つのサンプル教会へあてられた手紙(御使いに書き送れ→御使いによって書き送れ)は、すべての教会に当てはまる内容をもっていると同時に、4...
Published 11/10/24
Published 11/10/24