Description
序)説教者の小さな後悔
・受難物語(14 章~)は、そこまでのマルコの物語において用意された「伏線」が回収されていく。それを無視して説き明かすことはできない。
1)イエス様の「沈黙」といのちを左右する「問いかけ」
・61 節「イエスは黙ったまま」とは、ここまで繰り返されてきた「沈黙命令」の伏線とつながっている。1:25、1:44、5:43、7:36 他
・「十字架を知らずに、イエス様をわかったつもりになってはいけない」というマルコからのメッセージだが、その十字架が迫り、沈黙が破られる。
・8 章 29節「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」という問いがマルコの福音書を貫く問いかけ。福音書の存在意義は、読者をこの問いに答えさせること。この問いへの答えが、人のいのち、人生を左右する。
2)破られた沈黙
・大祭司は、みだりに神の名を唱えないよう「ほむべき方の子」と言う。これはストレートにイエス様の本質を尋ねているようで実は悪だくみ。
・「はい」と答えると、現状で大祭司に逮捕されている現実に照らして、神の力、栄光を貶めたという冒瀆罪が成立する。
・「いいえ」と答えれば、嘘になるから、沈黙が最適解であるはず。
→しかし、この状況でイエス様は沈黙を破り「人の子が天の雲に乗って来る」その時に、自分がキリストであることは立証されると言う。
3)「人の子が天の雲に乗って来る」とは?
・これが「再臨」の表現だと長らく誤解されてきた。
・このフレーズはマルコ 13 章で用いられていて、そのテーマはエルサレム神殿の崩壊を巡る「時と兆し」についてである。
→イエス様は結論として「時」は不明と言う。「兆し」とこれが起こった時の対応について語っている。
・13 章 24 節の宇宙崩壊の描写はイザヤ書・ヨエル書からの引用で、戦争で町が壊滅する「黙示文学的表現(≒心情を自然現象で表現する)」
・紀元 70 年にこの出来事は現実となり「人の子が天の雲に乗って来る」ことも成就。これはダニエル書 7 章の引用であり、昇天に関係する。
・ここで「来る」のは話者とは無関係に、神の前に移動すること。世界のさばき主として就任することを意味する。
・イエスをさばく裁判の場が、大祭司たちの「予備審問」になっている。
結)大祭司たちの罪さえ背負って進むイエスの弟子として
・イエス様は再び天において沈黙し、教会が神の声を託されている。