イエスの「舟」に乗る者に(マルコの福音書8章11節~13節)
Listen now
Description
序)イエスの「深いため息」は今日も… ・「聖書で読み解くこれからの世界情勢」的なコンテンツへの異常な人気 ・「聖書のある記述が正しいことが科学的に証明された!」的な話題 →これらは神を信頼することとは無関係であり「天からのしるし」を求めることの現代版である。 ・「聖書で読み解くこれからの世界情勢」的なコンテンツはしばしば修正される。修正されるもので「当たるから正しい」と言うのは詐欺。 ・「聖書のある記述が正しくないことが科学的に証明された!」場合に、科学を否定する。これは究極のご都合主義である。 1)私たちに潜む「天からのしるし」願望 ・「御心」という言葉で、自分の人生の成功保証をしたいという心は多くの人に潜んでいる。これはキリスト信仰の「占い化」である。 ・「天からのしるし」の本質は「絶対大丈夫という確信」である。しかし、これは絶対に与えられない。 →もし「絶対大丈夫という確信」をもってしまったら、自分の確信した「考え」が絶対になり、他者の声は入って来なくなり、対話することができなくなる。「不安」は消えるが「祈り」も消える。 →この「絶対」を守るために、攻撃的になる場合もある。 ・パリサイ人の言動が福音書に描かれるのは、私たちが彼らのようになる誘惑に陥る可能性が高いからである。 2)「天からのしるし」としてではなく聖書を読む ・聖書には、これからの世界情勢を読み解く内容が含まれているのは事実だが、その目的は何が起ころうとも私たちが希望をもつためである。 ・聖書と科学は、最終的に一致するが「今の時代」においてはどこまでいっても仮説としての科学モデルと暫定的な聖書解釈の対話以上のことにはならない。絶対的な聖書解釈が掲げられたら「その人教」になる。 ・聖書の使信は確信をもって、聴衆に語られる聖霊に信頼して語られる。 ・「御心を求めること」は重要である。それは特に倫理的な動機の吟味という点で重要になる。けれども失敗して成長することも御心である。 結)イエスの「舟」に乗る ・聖書に聴くと言いながら、伝統(常識)にしがみついてしまう私たち。 ・「絶対大丈夫という確信」を手放し、イエス様の人格に信頼し、冒険に出ることが、私たちへの招きである。
More Episodes
序)福音への応答に力を集めて~朽ちない冠を共に受けよう~ ・朽ちない冠(第一コリント)=いのちの冠(黙示録)=金の冠=ギリシア世界の陸上競技の勝者のしるし 1)「王冠(ディアデーマ)」ではなく「冠(ステファノス)」 ・黙示録において王冠は、悪魔の象徴である竜がかぶっている。 ・王冠は権力の象徴で、人を従え、富をわが物にし、快楽と好き勝手をするというネガティブな側面を強調している。 ・この王冠を巡って、奪い合いが起こり、その背後に悪魔の暗躍がある。人との比較の中で得られる勝利が「王冠」に象徴されると言ってよい。 ・「冠」は、神の前に与えられたいのちを忠実に走り切る絶対的勝利。 ...
Published 11/17/24
序)黙示録の全体像と教会の個性 ・黙示録は 7 つのブロックでできている。 ・7は聖書的「完全数」と言い、完成、完了、全体、完全を意味する。 ・7つのサンプル教会へあてられた手紙(御使いに書き送れ→御使いによって書き送れ)は、すべての教会に当てはまる内容をもっていると同時に、4...
Published 11/10/24
Published 11/10/24