Description
序)霊の渇きが満たされるなら、他者をも潤す
・のどが乾いたら水を飲む。飲まないと脱水症状になる。
・霊の渇きがあるから私たちは教会に出席し、礼拝する。イエスさまから飲ませていただきたいから。
・自分の渇きが満たされたら、今度は他の人を潤すようになる。霊の糧は飲み過ぎることなし。
1)主イエスのもとに来て飲め(37節)
・ユダヤ教教師(ラビ)は通常座って教えた。主イエスの所作は緊張感を与えた。
・仮庵の祭りは
a) 秋の収穫感謝祭◆レビ 23:33-43。
b) 出エジプトと荒野の幕屋生活の守りへの感謝
c) 雨乞いの祭り◆ゼカリヤ 14:8,16-17。
・別訳「祭りが盛大に祝われる最終日」。七日間毎日、大祭司は木の枝を右手に果実の枝を左手に持った巡礼者らを伴い、ギホンの泉で水を汲み、イザヤ12:3 を合唱しつつ神殿へ。ハレルヤ詩篇(113-118)を歌い、ホサナの歌118:25 を歌いつつ祭壇を周回し、祭壇の両側に水を注いで雨と実りを求めた。荒野で主が岩から水を出した(出エジ 17:6;民 20:11;Ⅰコリ 10:4)故事を象徴。仮庵の祭りは収穫を終えて一年を締め括る最大の祭り。◆出エジ23:16。
・最終日には水を注ぐ儀式がないので、その代わりに「わたしのところでいのちの水を飲みなさい」とのメッセージはよく当てはまる。
・(霊的に)渇くとは、罪を自覚して赦しを求め、良心の平安を熱望すること。◆使徒 2:37;16:30;マタイ 5:6。(わたしのもとに来て)飲むとは、キリストに来てキリストを信頼し、自分を預けて神との平和を回復すること。
・渇きを覚えていない人には飲ませられないから渇きが生まれるのを待つ。
今は渇きを感じなくても必ず霊の渇きを覚える時が来る。
2)生ける水の川(38 節)
・信じるとは主イエスのもとに来て飲む者。◆イザヤ 55:1;詩78:15-16;Ⅰコリント 10:1-4。キリストこそ、豊かに渇きをとどめる泉。イスラエルを荒野でいやした、あの岩。
・主イエスは生ける水である聖霊を、信じる者に与えるだけではない。心の奥底(直訳「腹」、感情の座)から生ける水の川が流れ出し、他者を祝福するように、泉を授ける。◆ヨハネ 4:14。サマリアの女へのことばと同じ。
・旧約の近似箇所◆箴言 4:23;5:15;18:4;イザヤ 44:3;58:11。メシア時代、救われた者たちが周囲の人々を潤す水源に。これはアブラハム契約の成就◆創 12:3。全世界の祝福の基に。
・生ける水の川が流れ出るのは義務や努力ではなく、事実認定であり必然。地の塩、世の光。
3)ペンテコステに聖霊は降った(39 節)
・生ける水とは、主イエスを信じる者すべてがペンテコステ後に与えられる聖霊。
・十字架⇒復活⇒昇天⇒神の右に着座し栄光⇒聖霊降臨。無償で生ける水を与えるため、主イエスは十字架の贖いの犠牲を払った。
・教会、礼拝、礼典それ自体は主イエスのもとに来て飲むことにならず。ポイントは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」。信じて飲めば聖霊が与えられ、他者への祝福の水源に。
結)
・霊の脱水症状にならぬよう、渇きを自覚しよう。そして主イエスに満たしていただこう。
・イエスさまこそ、アブラハムに与えられた契約の結論。世界中すべての民族が「心の奥底から生ける水の川を流れださせる私」によって祝福される。私が世界の祝福の基となる。
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