Description
序)人生が整わない時に
・詩篇 39 篇は詩人のまとまらない思いをそのまま神の前に持ち出すことが許されていることを伝える。
・悲しみに暮れ、暗い顔をし、肉体的に弱っていた詩人の 3つのアクション。
1)がんばってみた詩人~右に行っても、左に行っても限界~
・言葉の罪を犯さないために、とりわけ信頼関係の乏しい敵対者の前で失敗しないために、詩人はじっと黙って頑張ることを選ぶ。
・黙りつづけるということは、目の前の状況を沈黙のうちに肯定してしまうことになり、それが自分の心と離れていけばいくほど、痛みが加わる。
・黙らなければ「罪」、黙っていれば「痛み」という状況で限界が来ていた。
2)さとってみた詩人~それでもはみ出す願い~
・詩人は急に人生のはかなさに思いを向ける。神様に自分の寿命を尋ねるが、この問いに答えはない。
・ただ詩人は情報が欲しいのではなく、自分の「終わり」を聞かなくてはやっていけない思いにいる。
・寿命がわからないとしても、永遠の神様の前では無いにも等しいと「悟り」、痛みに耐えられない自分も含め「空しい(ヘベル)」と感じる。
・「悟り」の世界に身を置けば、目の前の出来事を達観(スルー)できる?
・「悟り」からはみ出す「願い」…「今」神様の力に触れたい!
3)あらがってみた詩人~小さな子どもの泣き叫びのように~
・詩人は、自分の不義を責める神様の厳しさで、生きる意欲が失われていくと感じ、神様に「御手」の向きを変えるように訴えている。
→果たして、聖書の神は、この詩人の言うような存在なのか。十字架にかかられたイエス様のご人格と一致するのか。
・自分の罪がすべての苦しみの原因ではないし、個別の事象すべてが神様から直接的に引き起こされるわけではない
結)すべてを受け止め、包み込む神
・「旅人」「寄留の者」とは、相続権を持たない、戸籍のない難民のような状態。霊的資質の不足を意味する。しかし、神は「寄留者」に優しい。
・しかし、詩人は最後に「見つめないで」と屈折する。
・「ぐちゃぐちゃのまま」生き続けてよいわけではない。「ぐちゃぐちゃのまま」の自分を認め、神様の前に出る、祈ることである。