開眼へと導く主イエス(3)~キリストの奥義~(マルコの福音書8章27節~38節)
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序)マルコの福音書の大区分 ・「人々はわたしをだれだと言っていますか」は 6 章 14 節、15 節~との繰り返し(=言葉のサンドイッチ)を作っている。 ・「あなたはわたしをだれだと言いますか」=人生を左右する問い。 1)「あなたはキリストです」の意味 ・「キリストである」≒(ただの)「預言者」ではなく「決定的存在」。 ・この告白は言葉として正しいが、その中身として弟子が思っていたことは間違いが多かった。だから「だれにも言わないように」戒め(叱)られる。 ・この時点で、弟子たちは「ぼんやりとしか見えていない」状態。 →私たちはどうか?「見えているかどうか」を試すのは教理的正しさではなく、十字架がわかっているか、十字架を生きているか。 2)「自分の十字架を負って」の意味 ・「十字架がわかる」とは「イエス様の十字架が自分の罪のためだとわかり、信じること」?→これは最初の一歩に過ぎない。 ・「十字架がわかる」とは、十字架こそが自分 (人間)の目指す生き方だとわかり、そこに生きられるようになること。これは 0 か100 かという話ではない。少しずつ開かれていく世界である。 ・「十字架を負う」とは「殉教」のことだけを指すのではない。 ・「十字架を負う」とは、理不尽さの象徴として「十字架」を捉え、それを神からのものとして、引き受けていくこと、とも言い切れない。 3)何のための「十字架」なのか ・イエスもペテロも「神の国をもたらす」という目的を共有していた。しかしペテロの想定した方法は十字架ではなく、力の道。これはサタン(神の敵対者)の道であった。 ・イエス様にとって神の国をもたらす最善の方法が十字架。イエスの弟子ならば、同じ方法で同じ目的を達成するはずだとイエスは語っている。 ・ただし、イエスの十字架と私たちの十字架には、効果の及ぶ範囲に違いがあることにも注意。神と人の間の断絶は、イエス様にしか埋められない。しかし、人と人の間の断絶は、私たちにしか埋められない。 結)どんな不幸を吸っても、はく息は感謝でありますように ・「世界からマイナスの連鎖を打ち砕く」のが、十字架を生きること。 ・救ってもらう側から、救う側に立つ時、いのちを得るのがキリストの奥義。
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序)福音への応答に力を集めて~朽ちない冠を共に受けよう~ ・朽ちない冠(第一コリント)=いのちの冠(黙示録)=金の冠=ギリシア世界の陸上競技の勝者のしるし 1)「王冠(ディアデーマ)」ではなく「冠(ステファノス)」 ・黙示録において王冠は、悪魔の象徴である竜がかぶっている。 ・王冠は権力の象徴で、人を従え、富をわが物にし、快楽と好き勝手をするというネガティブな側面を強調している。 ・この王冠を巡って、奪い合いが起こり、その背後に悪魔の暗躍がある。人との比較の中で得られる勝利が「王冠」に象徴されると言ってよい。 ・「冠」は、神の前に与えられたいのちを忠実に走り切る絶対的勝利。 ...
Published 11/17/24
序)黙示録の全体像と教会の個性 ・黙示録は 7 つのブロックでできている。 ・7は聖書的「完全数」と言い、完成、完了、全体、完全を意味する。 ・7つのサンプル教会へあてられた手紙(御使いに書き送れ→御使いによって書き送れ)は、すべての教会に当てはまる内容をもっていると同時に、4...
Published 11/10/24
Published 11/10/24