Description
序)「神殿を熱心に思う」と迫害される詩人
・35 節からすると、神殿と町々の破壊(バビロンによる)が詩人の目の前にあり、神の民としてのパブリックな悩みを悩んでいる。
・この祈り全体が、イエス様の生涯と響き合って(福音書で数回引用されて)おり、イエスの弟子もこの祈りに連なることが求められている。
1)形として見える神殿から、見えない神殿へ
・A.D.70 年にエルサレム神殿は再び破壊される。その後、神様は神殿を再建していない。代わりに霊的な神殿(=教会)が生み出された。
・見えない神殿は拡張工事が続いている。アダムとエバの交わりが最初の見えない神殿だったから、これは再建工事でもある。
・クリスチャンになる=見えない神殿をイエスと共に建て直すということ。
・「シオン(神殿)の再建」は「ユダの町々を救う」と歌われている。神殿の再建は、周りの町を回復させる(正義と平和をもたらす)。教会も同様の働きが期待されている。これが「神の国」のモデルである。
2)神殿再建に反対する人たち~罪の泥沼~
・神殿がなくてもやっていける(と思っている)強い人たちにとって、平和と正義、自由と平等は迷惑である。権力を持ち、お金を持っている人は、現状維持を志向し「平穏無事」を期待する。ここに罪がある。
・弱肉強食のあり方では、貧しい者やハンディキャップのある人たちは生きていくことができない。真に神殿が建つなら、愛が社会を動かす正義になる。それは富める者には、不都合な知らせであり、これを志す者は「泥沼」に投げ込まれる。
3)泥沼でも粘って祈れば勝利は確か
・見えない神殿を建てるということは、大変なことである。しかし教会がこれを止めると世界は弱肉強食のあり方に陥る。今日の戦争、社会問題は、教会の敗北の印だと受け止めなくてはならない。
・この世界に「神様がいない」ように感じられる原因は教会にある。
・教会に神殿を建てること止めさせる力こそ「自分のうちに住む罪」であり、これこそ私たちは戦い、滅さなくていけない。22 節~28 節の呪いは、自分の内に住む「罪人の私」に向けられるべきである。
結)あきらめてはいけない本質的な1つのこと
・罪に対する戦いに粘り勝ちして、神の国をもたらす生き方をしよう!