握るべきもの、手放すもの(ヨハネの黙示録2章12節~17節)
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序)『鋭い両刃の剣を持つ方』というイメージ表現 ・ヨシュア記 5 章 13 節の「抜き身の剣を手に持った主の軍の将」 ・民数記 22 章 23 節にも「主の使いが抜き身の剣を手に持って、道に立ちはだかっている」→重要で、緊急な警告を与えるための使者のイメージ ・「剣(ロムファイア)」は最強の武器の一つとされ、負けることのない強さの象徴であり、これが主イエスの言葉に適用されている。 ・イザヤ 49 章 2 節「主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私をかくまい、私を研ぎ澄まされた矢とし、主の矢筒の中に私を隠された。」 1)「サタン」が住んでいるのはどこなのか? ・「あなたが住んでいるところ」という表現で用いられる「住む(カトイケオー)」は黙示録の中でネガティブな「心の拠り所」を意味する。ペルガモンの教会は、サタンの王座に心の拠り所を置いているとの告発! ・「わたしの確かな証人アンティパス」を目の前で殺されている。なぜ、アンティパスだけなのか?という疑問。称賛のように聞こえる文章は、「アンティパスを見殺しにしても、信仰をもっていられるあなたがたはすごい」という皮肉ではないか。 2)「少しばかり」の問題なのか? ・「少しばかり」と和らげられているが、実際は「ニコライ派」の問題であり「少しばかり」とは言い難い。ここも皮肉。 ・民数記 25 章に記された「バアル・ペオル事件」が引用されている。バラクは預言者バラムを雇い入れてイスラエルを呪う計画を立てるが失敗する。その後、バラムはイスラエルを外から攻撃するのではなく、内側から崩壊させる(偶像崇拝に引き込む)案をバラクに進言する。 ・ペルガモンの町は、ゼウスの大祭壇があり、いくつもの神殿があり、ローマ皇帝を神格化した像や神殿があったから、ペルガモンで生きていくには「少しばかり」の妥協は必要という考えがあったのではないか。 3)偶像崇拝が戒められる理由 ・偶像崇拝は、人間性を貶め、不自由(虜)にし、思考を停止させるから。 ・イエスの御名以外を絶対化して握りしめると、何でも偶像になる。 ・「隠されているマナ」は「隠されている剣(イザヤ 49:2)」と入れ替えられた表現。マナも剣も御言葉の象徴だが、役割が違う。剣ではなくマナをイエス様は与えたい。 ・マナは「白い小石」に似ていた。神々の名が記された白い小石がお守りとして流通していた。これを皮肉的に採用して、イエスの御名に信頼する者が「誰にも支配されない新しい自分」という贈り物を得ると描く。 結)「悔い改めなさい」と言われるイエス様のまなざしを忘れずに
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序)福音への応答に力を集めて~朽ちない冠を共に受けよう~ ・朽ちない冠(第一コリント)=いのちの冠(黙示録)=金の冠=ギリシア世界の陸上競技の勝者のしるし 1)「王冠(ディアデーマ)」ではなく「冠(ステファノス)」 ・黙示録において王冠は、悪魔の象徴である竜がかぶっている。 ・王冠は権力の象徴で、人を従え、富をわが物にし、快楽と好き勝手をするというネガティブな側面を強調している。 ・この王冠を巡って、奪い合いが起こり、その背後に悪魔の暗躍がある。人との比較の中で得られる勝利が「王冠」に象徴されると言ってよい。 ・「冠」は、神の前に与えられたいのちを忠実に走り切る絶対的勝利。 ...
Published 11/17/24
Published 11/17/24
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Published 11/10/24