Description
私たちは、人生の中に「苦しみ」という何かが存在していて、ある日それに遭遇することによって苦しみがはじまる・・・というようなイメージを持っているかもしれません。
つまり、苦しみとは「外側の世界からやって来るものであり、自分に対してふりかかってくるもの」という感じなのです。
そして一度苦しみに出会ってしまったら、逃れることができず、自分自身では制御不可能であり、自分は可哀想な被害者となってしまうのです。
しかし「苦しみ」というのは、そのような外部からやってくる「出来事」ではありません。
それはあくまでも、自分自身のものの見方であり、認識であり、解釈によって生じるものなのです。つまり、自分が目の前にあるものをどのようなものとして認識するか、ということです。
こどもが暗闇や影や何でもないものを怖がるとき、それはそのものが怖いというよりも、こころのなかで自分がでっち上げた解釈が怖いのです。それは実際には存在しないお化けであったり、モンスターであったり、妖怪であったりします。
そのとき、こどもは目の前のものを直接見ておらず、自分のこころのなかで作り上げたイメージを信じているため、そのイメージに対して叫び声を上げています。
自分勝手な解釈さえなければ、それはただの暗闇であり、影であり、物に過ぎないのです。怖い要素はどこにもありません。
じつは、大人が恐怖や苦しみを感じているときも、これとまったく同じことが起こっています。
自分がものごとをでっち上げるスピードが異常に速いため、自分自身がその間違った解釈の罠にかかり、ほんとうは安全であるはずのものが恐ろしく感じたり苦しく感じたりしてしまいます。。
瞬時に間違ったことを完全に受け入れてしまっているために、まったく疑いを持つ余地がなくなってしまっています。
しかし、お子ちゃまレベルでしか物事を見ていないという事実も、プライドが邪魔をして気づけないかもしれません。
苦しみを感じているのであれば、まずは自分の物事に対する見方が根本的に間違っているのかもしれない、でもそのおかしさにさえ気づくことができない自分がいる、ということを率直に認めてしまいましょう。
たとえば、「私は今起きていることを○○だと解釈しているが、 それはほんとうにほんとうのことだろうか?必ずそうなるのだろうか?事実なのだろうか?」と一歩はなれて冷静にながめてみましょう。
これが苦しみを解決する第一歩となります。
「自分は目にするすべてに対してありえないでっち上げをしてしまい、何ひとつ本来の姿で見ることができない人だ」と白旗を掲げてしまった方が良いのです(大丈夫です!みんながみんなそうですから♪)。
知覚や解釈が歪んでいることを認めて、さっさと訂正の助けを求めることこそが楽になる近道です。
さて、誰に助けを求めましょう?
それは、存在しないものばかりをでっち上げて大騒ぎをしているおなじみの自分自身ではなく、自分の正気の部分です。
自分のこころの正気の部分を「高い自己」あるいは「ハイヤーセルフ」と呼びます。この部分は、いつも私たちにインスピレーションやひらめきを与えてくれている叡智に満ちたこころです。
この正気の部分は、私たちにとって完全に忘