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自分の心は基本的に同じでない。変わる心で信じるということは、信じていないという心に変わる。
不疑、疑わないのではなく、無疑。疑いが無いことを信という。これを他力の信心と親鸞聖人が言われる。
一本道は迷いようが無い。
信知。信というのは知ること。
生きるということは道を歩くということ。
この道をまっすぐこいよ、という阿弥陀さんの呼び声を聞く。
Published 06/02/24
光明と名号(南無阿弥陀仏)の因縁によって救われる。
如来様が呼んでくださる声に信順する。
善導大師の解かれた「二河白道」のたとえ。
自分が意識していることだけが全てではない。
自分で生きている、と思っているが、生かされているのが現実。そこに気づかないでいるのが私たちの姿。
西に向かっていく。西は安らぐ世界を指す。
欲と怒りの心が自己中心の無痴無明の心から出てくる。
人生の虚しさを感じるとき。
その時、自分の力の限界を感じる。
Published 05/19/24
無量寿の中の今日一日を生きている。
正定聚
歎異抄
無始よりこのかた、迷いを続ける私を阿弥陀様が仏にするために働いてくださる。そのはたらき。
歴史的な事実を言うのではない。
いま、口に念仏となって出てくださる「南無阿弥陀仏」
は法蔵菩薩が阿弥陀仏となられた姿
お浄土に生まれてくれよ!
世の中の姿は全てお経に説かれてあるとおり。
自分がしてると思うのは間違い、みんな周りにそうさせてもらってる。
人生は舞台に上がってるようなもの。
みんな舞台に上がってる、もう降りる時が来たら舞台から降りなければならない。それが死ぬということ。
Published 05/12/24
親鸞は弟子一人も持たない。
「愚禿」親鸞
お経はこの世の中の現実を書いている。
みんな死んでいかなくてはならない。わたしもその例外ではない。
今日の今が大事なんだよ。大切に生きて仏になる命を生きて行くんだよ。
自分の周りの人みんなを仏様として拝む。
御同朋 御同行
あなたに出会えてよかった。人生の大事なことを教えてもらった本当にありがとう。
これが人との別れだと思う。そして別れても心に残っていき力となっていく。
Published 05/05/24
今回は孫の問いに答えるかたちで浄土真宗の僧侶であるということの意味を語る。
仏様というのは「和の世界」に生きている人。
心が安らぐこと。
涅槃というのは「和の世界」が見つかったということ。
仏教は主義ではない。
「和をもって尊しとなす」聖徳太子
自信教人信 以外に何があるのか…
「これは何事ぞ」親鸞聖人の言葉
みんなに支えられての今を感謝する。
今日も一日ありがとう!
Published 04/28/24
何故に 捨てける身ぞと おりおりは
姿を恥じよ 墨染めの袖
西行法師
初心にかえることの大切さ
善だと思っていることも続かないのが人間の悲しい現実
善だと思っていたものが、いつの間にか善ではなくなっていた…
全ては結局借りもの。手ぶらで生まれ、そして全てこの世に置いて死んでいく
しかし、借りものは粗末にしてはいけない。大切に使わせていただく。そして次の代の者に置いていく。
Published 04/21/24
如来さんにお礼して学校に行きんさい、と親に言われて育ったエピソードを振り返って、、。
新居に仏壇はありますか?
人間が育つという中で、植物の苗に添え木をするように、そばに支えるものがいる。
人間は動物であるけれども、動物を超えていく世界を見つけていく存在。
無明とは暗闇の中で出口が分からないようなもの。
人間は明かりがないと、生きていてよかったと思えない。
念仏の声が親の声となって、人生の支えとなった経験。
Published 04/15/24
今日は4月8日花まつり、お釈迦様がご誕生された日をお祝いする日です。
生まれてすぐに7歩あるかれたというエピソードが物語るのは六道の迷いの世界を1歩出た悟りの世界を示されたということ。
私たちは何のために生まれてきたのか。
死んでいくためじゃない、迷いの世界を出て
仏に成るために生まれてきたんです。
先生がかつて言われた言葉「ご恩が身に染みるの〜」
その心が今ではよく分かるようになりました。
仏様の教えによって自分では見えない世界を知らせていただく。
有難いいのちを生きさせてもらったと
この世の最後に思うことが幸せな人生
そしてお浄土に生まれさせてもらって仏と成るのです。
Published 04/07/24
広島で育った在家出身の前住職(老僧)の生い立ち、
そしてなぜ僧侶となったのか。
ご縁あって広島から神戸のお寺(信行寺)に入る。
住職としての勤めと法話を続けてきた想い。
人間の間(ま)とは人をいたわる心。
煩悩のこころ、欲と怒りと無明。
Published 03/31/24