"Goodbye" by Osamu Dazai | Chapter 2 変身(ニ)
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変心(二) 田島は、泣きべその顔になる。思えば、思うほど、自分ひとりの力では、到底、処理の仕様が無い。金ですむ事なら、わけないけれども、女たちが、それだけで引下るようにも思えない。 「いま考えると、まるで僕は狂っていたみたいなんですよ。とんでもなく、手をひろげすぎて、……」  この初老の不良文士にすべて打ち明け、相談してみようかしらと、ふと思う。 「案外、殊勝しゅしょうな事を言いやがる。もっとも、多情な奴に限って奇妙にいやらしいくらい道徳におびえて、そこがまた、女に好かれる所以ゆえんでもあるのだがね。男振りがよくて、金があって、若くて、おまけに道徳的で優しいと来たら、そりゃ、もてるよ。当り前の話だ。お前のほうでやめるつもりでも、先方が承知しないぜ、これは。」 「そこなんです。」  ハンケチで顔を拭ふく。 「泣いてるんじゃねえだろうな。」 「いいえ、雨で眼鏡の玉が曇くもって、……」 「いや、その声は泣いてる声だ。とんだ色男さ。」  闇商売の手伝いをして、道徳的も無いものだが、その文士の指摘したように、田島という男は、多情のくせに、また女にへんに律儀りちぎな一面も持っていて、女たちは、それ故ゆえ、少しも心配せずに田島に深くたよっているらしい様子。 「何か、いい工夫くふうが無いものでしょうか。」 「無いね。お前が五、六年、外国にでも行って来たらいいだろうが、しかし、いまは簡単に洋行なんか出来ない。いっそ、その女たちを全部、一室に呼び集め、蛍ほたるの光でも歌わせて、いや、仰げば尊し、のほうがいいかな、お前が一人々々に卒業証書を授与してね、それからお前は、発狂の真似まねをして、まっぱだかで表に飛び出し、逃げる。これなら、たしかだ。女たちも、さすがに呆あきれて、あきらめるだろうさ。」  まるで相談にも何もならぬ。 「失礼します。僕は、あの、ここから電車で、……」 「まあ、いいじゃないか。つぎの停留場まで歩こう。何せ、これは、お前にとって重大問題だろうからな。二人で、対策を研究してみようじゃないか。」  文士は、その日、退屈していたものと見えて、なかなか田島を放さぬ。 「いいえ、もう、僕ひとりで、何とか、……」 「いや、いや、お前ひとりでは解決できない。まさか、お前、死ぬ気じゃないだろうな。実に、心配になって来た。女に惚ほれられて、死ぬというのは、これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース(茶番)というものだ。滑稽こっけいの極きわみだね。誰も同情しやしない。死ぬのはやめたほうがよい。うむ、名案。すごい美人を、どこからか見つけて来てね、そのひとに事情を話し、お前の女房という形になってもらって、それを連れて、お前のその女たち一人々々を歴訪する。効果てきめん。女たちは、皆だまって引下る。どうだ、やってみないか。」  おぼれる者のワラ。田島は少し気が動いた。 --- This episode is sponsored by · Anchor: The easiest way to make a podcast. https://anchor.fm/app --- Send in a voice message: https://anchor.fm/japaneselisteningpodcast/message Support this podcast: https://anchor.fm/japaneselisteningpodcast/support
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巌いわが屏風びょうぶのように立っている。登山をする人が、始めて深山薄雪草みやまうすゆきそうの白い花を見付けて喜ぶのは、ここの谷間である。フランツはいつもここへ来てハルロオと呼ぶ。  麻のようなブロンドな頭を振り立って、どうかしたら羅馬ロオマ法皇の宮廷へでも生捕いけどられて行きそうな高音でハルロオと呼ぶのである。  呼んでしまってじいっとして待っている。  暫しばらくすると、大きい鈍いコントルバスのような声でハルロオと答える。  これが木精こだまである。  フランツはなんにも知らない。ただ暖かい野の朝、雲雀ひばりが飛び立って鳴くように、冷たい草叢くさむらの夕ゆうべ、こおろぎが忍びやかに鳴く...
Published 06/04/20
 文壇の、或ある老大家が亡なくなって、その告別式の終り頃から、雨が降りはじめた。早春の雨である。  その帰り、二人の男が相合傘あいあいがさで歩いている。いずれも、その逝去せいきょした老大家には、お義理一ぺん、話題は、女に就ついての、極きわめて不きんしんな事。紋服の初老の大男は、文士。それよりずっと若いロイド眼鏡めがね、縞しまズボンの好男子は、編集者。 「あいつも、」と文士は言う。「女が好きだったらしいな。お前も、そろそろ年貢ねんぐのおさめ時じゃねえのか。やつれたぜ。」 「全部、やめるつもりでいるんです。」  その編集者は、顔を赤くして答える。  この文士、ひどく露骨で、下品な口をきくので...
Published 05/04/20
Published 05/04/20