#010 「聞思して遅慮することなかれ」 これは、海のマグロに泳ぐのをやめろ!という ようなものではないかと思うのです。(タロウさんのコメントより)
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タロウさんのコメントについて話をしました。 以下、ブログのコメントより −−−−−−−−− タロウ 2018/10/06 22:38 山も山さんこんにちは。 わざわざ記事にしてくださりありがとうございます。 >それは、なんとかなろうと聞いているときも同じです わからないのがここです。 これだと、 「なんともなろうとは思ってない聞き方」があると解釈 できてしまします。 ネットラジオNo4で山も山さんがお話になった、 「聞思して遅慮することなかれ。」っという ことなのだと思うのですが、心の性質上そんなこと が可能とは思えないのです。耳で聞いた情報は、耳に入ってき た瞬間に思いが(計らい事が)働き、自分勝手に解釈 してしまうようにでけていると思うのですよ。。 「聞思して遅慮することなかれ」 これは、海のマグロに泳ぐのをやめろ!という ようなものではないかと思うのです。 つまり、できっこないことをヤレ!と言われている 気分なのですよ。 気にする、注意する、思う・・っといったことは、 わりかしできますが、 ・思うな ・気にするな ・計らうな これは無理っぽいです。 ・思う必要がない ・気にする必要がない ・計らう必要は無い これが腑に落ちる縁に出会った時に初めて可能 になるのだろうとは思います。 聴聞というのは禅の公案みたいな ものなのかな?とは勝手に思っています。 聞いたまんまが信心です・・の、聞即信。 聞いたまんま、そうですね・・っと、 ならないのが煩悩の仕業であるとは 思ってます。 「必ず救う、我に任せよ」・・ これが、たとえおとぎ話であろうがなんだろうが、 本心から、 「ホントにそうなんだぁ!、なんてこったいウヒョー!!」 っと思い喜べたら、それは間違いなく素晴らしいことです。 頭がイカれた奴と思われても私は一向に構いません。 −−−−−−−−−
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質問箱に頂いた質問について話しました。 Q「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか? A「どう称えたか」によって、念仏それ自体が何か変わると思うのは疑っていることになります。それは、念仏を冷凍食品のように「レンジで解凍・あたため」をしないと食べられないもののように考えるからです。 質問箱の回答に加えて話をしました。 あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。(行文類・P186) 番組の感想、質問は ...
Published 04/08/23
第36回目を聞かれての質問について話をしました。 質問「阿弥陀様をたのむものを必ず助けるということですが、阿弥陀様に助けてくださいとお願いするのではなく、仰せをそのまま承るとはどのようなことなのでしょうか?我にまかせよ、必ず助けるという仰せについて疑いのない状態、御本願をそのまま受け入れている状態を言うのでしょうか?」 話の中で出てきた御文 「「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。「信心歓喜乃至一念」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきな...
Published 05/18/22